二千二百三十八(和語のうた、日本語漢詩)報道を読んで(30Km圏内、義経、利根川伏流水、川口停車)
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
二月八日(木)
一ヶ月ほど前だらうか。京葉線の快速廃止について、JRでは人口減少を見込んで、20Km圏内(武蔵野線内)を重点通勤地域、30Km圏内(大宮、千葉市)を通勤可能地域とする方針らしいとの記事を見た。一ヶ月経過するので、用語は不正確だ。
これは一理ある記事だが、30Kmの外は30Kmに通勤する(大宮以遠は大宮や浦和、千葉以遠は千葉や船橋)ことを云はないと、家を建てた人が失望してしまふ。快速とは無縁だが。
居住は三十粁に
人の数が減る故
長期の見通しは要る
縁組みは世の基本だ

住む処八つの里の遠くまで 此れから人が減る時の 長い先への見通しとして

反歌  子を持ちて後の世までに伝へるは人の倣ひに世の柱かな
「粁」は日本人でも読めない人が多くなった。中国にこの漢字はないが、意味は分かるはずだ。「米」は中国でもメートルだから。それより和語のみの歌では「八つの里の遠く」となってしまった。
子は授かりものと云ふから、子のできない夫婦は問題ない。結婚しない人は、世の中を維持できないから、問題だ。独身の我儘は、化石燃料消費と引き換へである。つまり、化石燃料消費で力仕事が減り男の役割が減り、コンビニや電子レンヂで女の役割が減った。

二月九日(金)
義経が強かったのは、当時は互ひに名乗ってから戦をする習慣だったのに、一気に山を下って攻めたからだった。そのため人心が離れ孤独の中で敗死したと云ふ記事を読んだ。
なるほど、これで謎が一瞬のうちに解ける。
判官が戦に強いは邪な戦術
次第に皆が離反し孤立
幕府は衣川に追ひ詰め殺した
後世の話は判官贔屓

義経が戦強きは邪な戦ひ方で ひと度は勝ちを収めて その後は皆が離れてつひに滅びる

反歌  義経を作り話で後の世に花を咲かせて今へと続く

二月十日(土)
東京湾の水が汚くならないのは、利根川の伏流水が原因と云ふ記事を読んだ。これも、なるほどと一気に解決した。
東京湾水が清きは
利根の伏流水
幕府が川の流れを変へても
地下の流れは不変はら

江戸湾(いりえ) 水が清きは大利根の土の下なる流れにて 上は東のおほうみへ流れ変へても下は変はらず

反歌  土の下力持ちなる流れにて江戸ののちにも清きを守る

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二月十一日(日)
川口駅に、東北線の上野東京方面を停車させることに決まった。新宿湘南方面ではない理由は、埼京線と一部で線路を共有するため事故の影響を受けやすく、本数増も難しいとする。もう一つ、開通予定の羽田空港線に乗り入れる可能性があるとしてゐるが、これは市民をなだめるための蛇足だ。
赤羽駅南口改札内に建設中のエキュートと競合する。乗り換へる客が川口に分散するからだ。川口は京浜東北と中距離で改札を分けたらどうか。乗り換へ客が少なければ、通路も小さくて済む。
川口に中距離が停車する
上野東京方面に決まる
湘南新宿は増発が難しく
人口減で線路を増やすのも難しい

川口に 半ば遠くへ往き来するいなづま車止まるとも 上野品川同じ向き 速くはなるが嬉しさ半ば

反歌  池袋渋谷へ往き来する人はいち(市)のみつぎ(税)に嬉しさ半ば
今回は「和語のうた」で来たので、難しさも半ばだった。上野品川池袋渋谷と訓読みの地名を選んだ。あと電車、市税の訓読み化も難しかった。
今回の川口停車で、2分遅くなるだらう。一ヶ月往復で80分。30Kmより遠方は、東京まで通勤しないやうにする誘導策とも考へられる。乗客側にも、対抗策がある。在宅勤務を増やすことだ。(終)

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日本語漢詩(その四)

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