二千二百三十七(和語優勢のうた)物語(小説)再興の方法
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
二月九日(金)
日本の物語(小説)は、低迷状態にある。芥川賞だ、直木賞だと騒いでも、低迷の中から選ぶので、まったく面白くない。そもそも二つの賞は、新人作家に与へるものなので、低迷なのは当然だが。
かつての漱石、龍之介のやうな作家が出ないのは、何が原因だらうか。漱石や龍之介の時代と今で異なるのは、戦争に負けたことだ。まづ、小説は正仮名遣ひで書く。これで、小説を読むと、正仮名遣ひを読めるやうになる、と存在価値が出てくる。世の中の役に立たないものよりは、世の中の役に立つものを書いたほうがいい。そもそも新仮名遣ひは、人類史上最悪の戦争悪魔マッカーサとトルーマンに押し付けられたものだ。
ここで、物語と小説の違ひを述べると、物語は昔から続く。小説は明治以降だ。そして明治に始まった大日本帝国は、先の敗戦とともに消えた。明治期やそれ以降に、日本の発展を願った人たちと、敗戦で希望を失った人たちでは、心理状態がまったく異なる。それでも戦前に成人した作歌は、対応ができた。戦後に成人となった人たちは、小生の年代みたいに昔の世代が多いときに成長した場合を除き、うまく対応できないだらう。
だから正仮名遣ひとともに、物語を書くのがよい。物語には、もう一つ利点がある。短編小説が物語、小説が長編物語の印象がある。つまり、物語は短くてもよい。
出版社の都合、連載小説の雑誌社や新聞社の都合で、小説は長くなり過ぎた。それを戻すためにも、物語がよい。
小説は 明治になりて新しき流れとなりて伸び続け だが負け戦小説が明治の光り失ふは 明治に出来た憲法と共に
反歌
小説は西洋真似を抜け出せず昭和末より低迷続く
二月十日(土)
今はIT時代だ。時間感覚が速くなった。だから短編を除いて、小説はあまり好まれない。しかし短編小説と云ふと、軽視される。それを防ぐには、物語がよい。
物語には、平家物語みたいに長編もある。平家物語は、各章が完結してゐる。物語(小説)を書く時は、各章を完結させるとよい。
物語昔から在る言葉にて 竹取平家伊勢などの 名高きものも数多くあり
反歌
物語昔から在る流れにて小さな説きは勢ひが無し
二月十一日(日)
日本には、歌(和歌)、詩(漢詩)、俳諧がある。これらを物語に入れれば、読者が気分転換をできる。そして、昔から続くので、物語も昔から続くことを示せる。
昔から続く物にて新しき心に換へて読みを続ける(終)
兼、(歴史の流れの復活を、その四百六十八)へ
(歴史の流れの復活を、その四百七十)へ
メニューへ戻る
うた(七百七十六)へ
うた(七百七十八)へ