二千二百三十三(和語のうた)1.万葉集講座「第四巻」、2.最新の歌論(破調、枕詞)
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
二月六日(火)
万葉集講座「第四巻」を取り上げるのは三回目(二回目へ)になる。今回は「万葉歌風の展開(Ⅳ)」を取り上げる。興味が毎回移り変はるのは、傾向があるのだが、自身気付かなかった。
万葉歌風の展開を(中略)いくつかに時代区分(中略)は、近世の賀茂真淵あたりに始まるが、(中略)四期に区分するのがふつうである。

として要旨は
第二期(
注1に真淵は記紀歌謡の時代を第一期とする(中略)この小論では(中略)万葉時代だけを一期から四期までとする。)の歌には「大海の原にけしきある島どものうかべらむさまして、おもしろきいきほひ」が出て来たが、第三期ではそのいきおいを模倣したものの、(中略)歌風が狭小になった。第四期には「ゆかしき隅もなき海山を風早き日に」見るように、荒涼とした歌風となった。
この論によれば、第三期、第四期となるに従い、(中略)歌風は次第に下降したということになる。

近代になると
明治三十六年(一九〇三)に書かれた伊藤左千夫の「万葉論」(中略)は第二期の人麻呂の歌をもっとも高く評価し、第三期の憶良・赤人はとうていこれに及ばないとしながらも、現代の歌人が模範とすべきものは後者たちであるという。

そして、万葉歌人を
之を二大別して、主張子即ち形式派之を人麻呂派と云ふべく、主意味即ち写実派之を憶良赤人派と云ふべく(以下略)

憶良赤人は
人麻呂にない(中略)新しい価値---「写実」

子規の云ふ写生であらう。
よろづ葉で真淵と左千夫取り上げる 良い人選びこの時は 後に世の中傾き酷く

反歌  戦負け左千夫の所為(せゐ)にアララギの二つ後びとよろづ葉につき
文明は戦後に万葉離れが大きかった。茂吉の門人もさうだが、文明の門人たちも大きく、過去の残渣を師匠から左千夫のせいに移した。

二月七日(水)
破調について
定型歌の見どころの一つに、如何に音の数を合はせるかと云ふ、技の美しさがある。ところが破調は、その技を放棄したのだから、技がない。もともと音の数が合はないことによる調子の悪さと併せて、極めて良くない。
音(ね)の数を合はせる技に美しさ調べ破るは歌をも破る


枕詞について
枕詞は、幾つもの語に掛かれるものが多い(例へばあづさ弓は、射る、引く、張る、反(かへ)る、寄る、音、本(もと)、末(すゑ)、矢、つるに掛かる)。これは、枕詞には言霊があり、だから使用機会を多くしたのではないだらうか。
よろづ葉で 枕詞は言霊が在るが故にとするならば 使はれ方がうまく収まる

反歌  今の世も枕詞は美しいたまには使ひ歌に磨きを(終)

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