二千百五十四(うた)伊東旅行記
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十一月八日(水)
毎月恒例の中旅行(日帰り旅行)で、伊東へ行った。先月の修善寺では町(今は合併し伊豆市)全体が観光地と書いたが、厳密に云へば修善寺駅から少し離れた修善寺温泉一体が観光地だ。しかし町役場が積極的に観光地整備に努めたことに敬意を表して、町全体と書いた。
それに対して、伊東市は市全体が観光地だ。これも厳密には、伊東駅周辺だけしか行かなかったので、他の伊東市内は分からない。しかし木下杢太郎記念館と東海館と云ふ二つの市立の施設に入場し、さう感じた。
木下杢太郎記念館は、予期せず巡り当った。沼津へ旅行のときに牧水関係に遭遇したのと酷似する。歌は、作品自体が重要で、住んだ家は重要ではないとの思想が根底にあるためだらう。とはいへ、入館して為になった。杢太郎が医師だとは知らなかった。茂吉を高村光太郎と混同し、彫刻家だと思ったのと類似する。
思へば、医師として失敗が無かったのは杢太郎だけだ。鴎外は日露戦争に軍医として出征し、脚気を感染症と判断し食事が原因だとは気付かなかった。茂吉は、処方した薬で龍之介が自殺した。
杢太郎は作品を出版する時に、茂吉と赤彦の世話になった。鴎外の観潮楼の歌会にも出席した。記念館では、杢太郎を絵画が第一、医師が第二、文学が第三として扱ふ。東海館では、杢太郎を文学者とする。小生も、杢太郎は文学者と見たい。そもそも杢太郎は筆名だ。
海岸に出て、右に歩いた。ひものを売る店が続く。観光船の店もあった。川の手前を曲がり、稲荷町通りの酒屋で「伊豆の地酒あらばしり」を買った。これはお薦めだ。かう云ふ昔ながらの店がよい。
三島信金伊東営業部の角に出たところを左に曲がり橋を渡り、公園でこの酒を一合ほど飲んだ。橋を戻り左折し、東海館へ行った。その手前のK's Houseは海外旅行者向けのホステルだ。建物は昔の旅館のままだ。その隣に同じく昔の旅館のままがあり、東海館だ。廃業ののちは、市に寄付され展示施設となった。ここもお薦めだ。
キネマ通りと云ふアーケードを歩き食事をしようとしたが、飲食店が無い。あるのかも知れないが開いてゐなかった。いでゆ通りと云ふ小径を歩いた。脇の石像はお湯が湧くはずだが、休止中とある。ここは飲食店があるものの千二百円から千四百円程度で高い。海産物なら高くはないが、ラーメンも九百円台なので海鮮料理も価格満足度が高くないと判断し、十店ほどを通過した。
そのまま駅に着いたので改札手前の売店で、明太子のおにぎり弁当と、海藻のサラダを買った。ホームの待合室で、酒を一合ほどと昼食を食べた。明太子だと思ったら鳥の唐揚げで外装にも「鳥の唐揚げと明太子おにぎり」と書いてあり、おにぎりに少量の明太子だった。海鮮料理にはほど遠くなったが、まあ満足だった。
酒は合計二合弱を飲んだが、ここで前に三島で買った酒を思ひ出す。飲んだときは十一度くらいだと思ったが、今回飲んだ二合とそれほど変はらない。値段はどちらも八百円台だから、前回の価格アルコール比の低さに驚く。
伊東は観光にお薦めの街だ。次回は大人の休日倶楽部パスなのでJR東海の範囲には来れないが、その次はまた伊東を訪問したい。あ、伊東もJR東日本だった。
伊東市は 市の全体が観光地 東海館と杢太郎 伊豆の地酒に温泉と 大室山に吊り橋に 湖そして小室山 幾日居ても飽きることなし
反歌
草枕伊東への旅期せずして歌詠み人の史跡に出会ふ
この反歌は、木下杢太郎記念館に投稿箱があったので入れようとした。しかし選者の傾向が分からないので、今回の特集に入れた。沼津で牧水の記念館に出会ったことと対比した長歌を付けようと思ったが、長歌を付けたらますます落選する。
沼津にて期せず牧水史跡あり 伊東も期せず杢太郎 出会ひは思考超える不思議か
反歌
深層の思ひが招く古き家歌詠み人の史跡巡りに
「あり」は文語だが、慣用句として口語の許容範囲とした。帰りは品川で新幹線を降りた。新幹線改札の外側から中を覗くことはあるが、中で降りるのは初めてだ。かなり狭い。これは南口側だからで、北口側が広いことをあとで知った。
改札を出ないで後続の新幹線に乗り東京まで行かうとしたが(在来線では、特急券が一列車のみ有効なので、かう云ふことはできないが、新幹線は新幹線改札を出なければ後続に乗れる)、次のひかりやこだまはかなり後だ。ジパング倶楽部切符は、のぞみに乗車できない。新幹線改札を出て、在来線で帰宅した。(終)
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