二千百十六(うた)修善寺旅行記
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十月四日(水)
本日は修善寺へ行くが、あいにくの雨だ。朝六時四十五分に家を出て、東京駅発七時四十八分のこだま号で三島に着いた。修善寺着九時三十五分。九時五十分のバスで、修善寺温泉へと向かった。斜め前にアジア系カップルが座る。台湾か、香港か、シンガポールか、中国か。
到着後、頼家の墓、指月殿、竹林の小径、しゅぜんじ回廊、範頼の墓、修禅寺と史料館、日枝神社、河原湯、独鈷の湯を見て、バス終点に戻った。発車まで二十分ある上に、(1)長椅子で待つ人たちが陰気さうな目付き、(2)あの人数だと座れるとは限らない、の理由によりそのまま駅へ向かって歩いた。
総合会館に併設された博物館へ入らうと思ったら、水曜は休館日だった。寄る予定は元々なく、前を歩いて思ひ立っただけだった。総合会館は大ホールと大研修室、観光協会も入居する。協会側入口の椅子に、欧米人四人ほどが休むと云ふか時間潰しをしてゐた。
往路バスのアジア人と、修禅寺境内で観光客用の着物を着たアジア人と、今回の欧米人。外国人が修善寺温泉に目立つのではなく、日本人観光客がほとんど居ない。これが原因だ。だから店と飲食店はほとんど休みだった。日本は一神教徒みたいに、一斉に休む必要はない。それぞれが申告した曜日に休むのがよい。
観光地平日に行けば空くものの 限度が過ぎて日本人あまり居らずに ほとんどの店は開けずに 外国人のみ
反歌
外国の旅行者或いは達人かゆったりと観て並ぶこと無し
総合会館を出て更に進むと、セブンとファミマがあるので、ファミマへ寄った。地酒は無いので、静岡県浜松の「超辛口花の舞 純米酒」300mlを買ひ、歩きながら飲むうちに、駅へ着いた。ずいぶん回ると思ったら16.5度だ。
地酒なく浜松の酒同じ県伊豆と遠州半地酒かな
三島まで乗り、駅前で弁当を買ひ、車内で食べた。十三時五十八分発を予定したが、一時間早い列車に乗った。これが自由席の便利なところだ。
十月五日(木)
修善寺は、町が観光を盛り上げるため努力してゐる。それを強く感じた。今は合併して伊豆市になったが、事情は同じだ。五つの橋や、竹林や、しゅぜんじ回廊等々。
頼家の墓の前では長い過去 多くの人が歌を詠む 実朝含め頼朝も含め源氏の栄枯盛衰
反歌
実朝は歌に優れる尚のこと異口も同意で栄枯盛衰
三島から修善寺までの景色は、昭和の日本そのものだ。大都市に住むと気付かないが、地方から来た人が東京の高層住宅街を見て、ここは日本ですか、と驚かれたことがある。大都市に住む人は感覚が麻痺して、異常を異常と気付かない。本当の日本に戻って仕事をしたほうがはかどると、会社が移転するのが一番いい。リモートワークで家を移転するのでもよい。
さて、大都市には「温泉」と云ふ名の「鉱泉」が氾濫する。だから温泉に、魅力をあまり感じなくなった。鉱泉は、鉱泉と名乗らせる。温泉の名称は、湯温による温泉のみにして、観光地の魅力を高めることも必要だ。
伊豆箱根鉄道が、大雄山線と駿豆線に分かれて居ることも惜しい。どちらも終点に、曹洞宗のお寺があるのだから、連携できないだらうか。ご利益三倍参拝で、二つのお寺を巡るとご利益は三倍になって、一倍分得をすると云ふやうな。大雄山と修善寺までの直通電車は、特急踊り子の時刻を使って、東京から小田原経由大雄山と、大雄山から小田原経由修善寺の直通特急で可能か。
いっそうのこと競争相手の小田急箱根登山鉄道グループと組んで、新宿発御殿場行きを、沼津経由修善寺まで延長する方法もある。毎週土曜日曜だと大変なので、たまに運転すると珍しいから乗客が殺到するだらう。(終)
追記十月六日(金)
大雄山線は、小田原を出てすぐの曲線がきついため、18m車しか入れないことが分かった。特急車両の乗り入れは不可能なので、18m車を駿豆線の車両工場へ回送するときと同じ方法(JR貨物の機関車で牽引)で、大雄山から修善寺までの直通電車を走らせたらどうか。JR区間もパンタグラフで集電する。
追記十月七日(土)
六年前に、大雄山から駒ヶ岳までのケーブルカー、ロープウェイを提案したことがあった。これは大雄山線が箱根地区で相乗効果を発揮してゐないことと、箱根山戦争で小田急系が西武系より優勢になった為だった。
昨日伊豆箱根鉄道を調べると、2016年に駒ヶ岳ロープウェーをプリンスホテルに移管、2022年に 十国鋼索線を富士急行に売却、2023年に芦ノ湖遊覧船を富士急行に売却。大雄山線の伊豆箱根鉄道での相乗効果は、車両工場を共通使用できることだけになった。
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