二千百三十四(和語のうた)大星光史「歌人の風景」から良寛
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十月二十二日(日)
大星光史「歌人の風景」は、賛成より反対の度合ひが多い書籍である。とは云へ、大学教授、日本文芸研究会会員、現代俳句協会会員、良寛会会員と多くの肩書(出版当時、1997年)を持つ人の発言なので、どこが賛成でどこが反対なのかを、明らかにしたい。
良寛は普通"良寛さま"あるいは"良寛さん"といわれるのが似つかわしいという。(中略)周囲には今なお、良寛ファン、信奉者がぎっしり群れている。(中略)越後人同士の宿命である。
そこで、それらとは別の良寛を論じるのが、大星さんの本だ。まづ手毬の有名な歌二首を紹介のあと
しかし、天真爛漫、子供と手毬、(中略)脱俗、超俗の良寛だったわけではない。
人間良寛、もっともっと悲しい、あわれな良寛坊の姿から見ていってみたい。
として
ゆく秋のあはれを誰れに語らまし藜(あかざ)籠(こ)に入れ帰る夕ぐれ
大星さんは「わが身の悲哀でもあった」とするが、小生はわびとさびの表現と見た。尤も年を取りうつ病の気が無いとは云へない。それは前例のない修行を行くには、あり得ることである。このあと山の生活、秋の夜を寂しがる歌三首を並べ、「あまりの淋しさに夜を明かしかねる」とするが、これも同じだ。
雨のふる日はあはれなり良寛坊
大星さんは『この「あはれなり」は、どこか真底笑いきれない。』とするが、小生は「良寛坊」に注目し、良寛は僧侶として最後まで行動したことを確信した。
禅宗に限らず僧の飲酒は歓迎されざるところである。(中略)良寛の詩から察すると、玉島円通寺での若き修行僧の時代、有人の青年僧同士で酒を酌み交わし、古典、詩論を戦わしている記録も見える。「般若湯」といったかたちで(以下略)
禅宗は、他の宗派より飲酒に甘い気がする。般若湯はいい例だ。決して良寛だけが酒好きだった訳ではない。
良寛の出家前の願いは、文筆家、詩人の生き方である。しかし、それは到底、家人も世間も許してくれそうな実情にない。次善の策として選んだのが出家だったとも取れる。
良寛は、儒者を目指したが志向的か性格的に諦め、次に出家を目指した。決して文筆家、詩人を目指した訳ではない。これらを目指すなら名主のほうがいい。出家しても文筆や詩を書くことはできるが、それは越後に帰国後のことだ。
あわ雪のなかに顕ちたる三千大千世(みちおほち)界またその中に沫雪ぞ降る
(中略)ふる雪の中に宇宙を感じ、その宇宙の中にまたしきりと沫雪がふる。春に近いキラキラとした淡い陽ざしの中にふる雪の荘厳な原風景。まさに極楽浄土を思わせる。
大星さんの意見も間違ひではないものの、飯田利行さんが大千世界をさとりと訳注したことから小生は、あは雪の中で坐禅をして、そこに沫雪が降る、が一番いいと思ふ。大星さんの解釈だと単に、春に近い光景が極楽浄土に似ると、光景を描写しただけになってしまふ。
みちおほち新た言の葉良寛は奥が深くてみちへと招く
「みち」は、未知、三千、道を掛けた。(終)
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