- 二つの良寛像


二千九十一(うた)二つの良寛像
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
九月十二日(火)
良寛渡航説に対し、反対の人が多い。その理由は、良寛に求めるものが二種類あるためだ。
一つ目は、曹洞宗の僧侶として寺に入ることはできなかったが、子供たちと手毬をする心優しい良寛。
二つ目は、寺請け制度で堕落した本末関係を抜け出した、これらを超える良寛。
一つ目を求める人にとり、渡航説はとんでもない話だ。二つ目を求める人は、渡航説を聞いて喜ぶだらう。
良寛は渡航したのかしないのか 心優しい良寛を求める人は 渡航なぞする筈無いと考へる 良寛に真の僧侶を求めると 渡航と聞いて納得をする

反歌  良寛は不明期間を歌漢詩好き上手でも書けない訳が
渡航したとする証拠はない。だから一つ目と二つ目は共存できる。心優しい良寛らしい。

九月十五日(金)
良寛の父が、以南なのか、誉章(桂家の跡取りが出家したため、実家に戻される)なのかは前に取り上げた。長年良寛に親しんで来た人たちには、評判が悪い説である。
長年親しんだかどうかのほか今回も、良寛が二種類に分かれる。
三つ目は、跡取りを放棄し出家したが、帰郷後は親しまれた書、漢詩、歌の達人。
四つ目は、当代の実子ではないのに跡取りとなった難題を解決し、継父や異父弟妹と、実父や普通の弟妹として接することができた偉人。
小生は、四つ目のほうがよいと思ふが、これまでの伝承を尊重して三つ目でもよい。特に年配の方々は、三つ目の前提でこれまで来たのだから、それを尊重してほしい。要は、他人に意見を押し付けないことだ。
良寛の父は以南か誉章か どちらにしても良寛は以南を父と詩や歌に書いて親しむ 以南の死後も

反歌  良寛と弟妹仲が良く父母含め一家平穏
母の名も、信、秀子と二説ある。それくらい分からないのだから、それぞれが信じる良寛は皆、正解である。

九月十七日(日)
一つ目と二つ目から離れて第三者として眺めると、正解は両方の中間にある。本当に優秀なら、曹洞宗の組織内で改革を進めただらう。本物の駄目人間なら、宿無しとして短命に終っただらう。
但しこれは、第三者が世間の基準で見た場合だ。別の基準で見ると、別の結果になる。(終)

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