二千六十八(和語のうた)1.文明「萬葉集私注」、2.萬葉集と子規一門の歌論
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
八月十五日(火)
文明「萬葉集私注」二(巻第三、巻第四)を読み始めた。一から読まない理由は、一は書き込みが酷い。小生は、鉛筆の書き込みなら消す。だから小生が借りると、返すときのほうがきれいになる。ところが一は、カラーペンで書き込んだ人がゐる。今は図書館も返却時に検査するから、こんなことは起きない。昭和五十一年の出版なので、四十五年間にかう云ふ悪い人が出てしまふ。
書き込みが嫌ひな理由は、指向が左右されてしまふ。小生は、詞書でさへ嫌ひだ。歌を読む前に先入観を生じてしまふ。左注なら問題ない。歌を読んだ後に詞書を読む方法もあるが、歌を読み終へると九分九厘詞書は読まない。
そんな事情があるため、「萬葉集私注」二を読み始めた。
詞書歌より前に読むならば 歌が頭へ入る前 曲がり正しく心響かず

反歌  詠み人は歌に知らせを付けるのみ予め強いる教へに非ず
今回は萬葉集入門により、人麿、赤人、家持だけに絞った。万葉集は、事典や資料集と同じで必要な部分だけを読むのがよい。まづ人麿の
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしぬにいにしへ思ほゆ

について
「夕波千鳥」の如きは、少し技巧的すぎる成語で(中略)此の語のために一首が幾分軽く響くのは否めない

小生は、文明とは逆だ。「夕波千鳥」があるおかげで、この一首は名歌になった。本来は「夕波に千鳥」でも字余りではないが、より定型度を高くした。小生と文明で、字余りの許容度の差がまづ原因だ。次に文明は、子規の歌論に忠実になり過ぎて、技巧嫌ひだ。「夕波千鳥」が技巧なら、美しい歌は皆、技巧になってしまふ。小生が子規や左千夫の歌で5%にしか美しさを感じない理由が判った。
次に憶良で
憶良らは今はまからむ子泣くらむ其の彼の母も我を待つらむぞ

憶良の名歌十番以内に位置すると思ふ。それなのに文明は
別段とりたてて云ふ程のユーモアでもないが(以下略)

この歌の勝れるは、そのユーモアだ。文明は真面目過ぎる。家持が六月に
今よりは秋風寒く吹きなむをいかにか一人長き夜をねむ

これに対し
歌はただ一通りの作である。(中略)夏六月(陽暦七月八月)に「秋風寒く吹きなむを」もわざとらしい。

文明はどう云ふ歌が嫌ひなのかをはっきりさせるには
秋さらば見つつしぬべと妹が植ゑし宿の撫子咲きにけるかも

について
此も特別のところのない作であるが、内容が具体的なので嫌味はない。

具体的を好むやうだ。次に
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒みしぬびつるかも

について、詞書に移朔とあることから、まづ語訳で
七月朔は八月十三日であらう。

とした上で
立秋はすぎて居るものの、恐らく実感に遠いものであらう。(中略)大陸伝来の暦の上の図式的季節を基礎とした模擬感情による場合が多く見られるのであるが、その弊はすでに此の頃から発して居た趣が知られる。(中略)「秋風寒み」は、考慮の足りない

人は気温に順化する。だから同じ気温でも、立秋を過ぎれば暑くないし、朝晩は寒ささへ感じる。暦の季節感は、模擬感情ではない。最近は冷暖房で順化が無くなった人も多いが、初版は昭和二十五年、改訂版は昭和五十一年で、文明が順化しなかったとは思へないのだが。

八月十七日(木)
「萬葉集私注」三(巻第五、巻第六)へ進んだ。
世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

について、歌は旅人のものだが、詞書の漢文は
推測すればそれは憶良の案文によるもので

とある。そして
旅人には作歌があり、その歌柄はどう見ても憶良よりは上であらう。けれども其の事から旅人の文筆をも憶良のそれに近似したものと見るならば、誤解といはざるを得ない。

とする。憶良は文筆を以って遣唐使小録に選ばれたからである。
はしきよしかくのみからに慕ひ来し妹がこころの術もすべなさ

について
当事者旅人の心になつて、その妹の遠来を悲しんで居るのであるが、理が這入つて来て言葉がうるさいので、感じは稀薄である。

とする。文明は憶良に辛い採点なのと、文明の歌感(理を入れない)が分かる。
白金も黄金も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも

作意に
三句切であるから、第四句の助辭の不足による不安定などがあり、出来の悪いものである(以下略)

三句切を気にするところに、意外感がした。小生は三句切、四句切などまったく気にしない。第四句の助辞不足は字数を合はせる為で、定型の美しさを軽視する子規一門の悪い批評である。小生と子規一門との相違が明らかになる一文である。
三つ目で切るか四つ目どちらでも佳し てにをはを数合はせにて入れないも佳し


八月十八日(金)
昨日に続いて読み進んでも、作意に否定的な見解が幾つも見られる。巻第六も同じで
やすみしし わご大君の 常宮と (中略) 玉津島山

赤人の長歌だが
形式的な部分が多く、しかも短篇で内容に乏しく、赤人の表現力の缺乏を示す如き昨である。

また
若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦べをさして鶴鳴き渡る

について
赤人の作として古くからもてはやされた作である。軽快に歌はれて居ることは認められるが、巻三、黒人の作「桜田へ鶴なきわたる愛知潟潮干にけらし鶴なき渡る」(二七一)に及ばないのは「潟を無み」の所に理が這入つて感ぜられる為であらう。

文明が冷淡なので、小生が考へる万葉集の意義を箇条書きにすると
1.万葉集は作品集(優劣ともに含まれる)
2.定型の美しさ(しかし文明の歌は破調が多い)
3.昔(万葉集編集の時から比べて)の美しさ
4.音を記録

これらがあるので、古今集からは技巧を競ふやうになった。しかし子規の一門は、古今集と技巧を捨てた。小生は、定型とあと一つを提唱したが、定型すら破る子規一門は何で美しさを出すのか。それが写生だが、写生は美しいとは限らない。

八月十九日(土)
赤人の
やすみしし わご大君の 高知らす (中略) 常に通はむ

について
此の辺の諸作は、どの作者のも、皆一様に人麿の模倣に立つて居るので、(中略)かうした模倣もあつて構はない筈だが、それは儀式のものとしてであつて、文学としての論ではない。

万葉集は、儀式用の歌を記録する意味もあったのかな、と思った。文明は、長歌について人麿のみがよく、その余波が短歌にも及ぶのかな。
さて「あ、い、う、お」の法則から、朗詠が目的の歌も多いはずだ。そして朗詠は歌謡の原型だったとも考へられる。さういふ歌を、文芸の立場から評価してはいけない。(終)

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