二千七十(うた)1.文明「萬葉集私注」(その二)、2.萬葉集は比喩歌が欠点では
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
八月二十日(日)
萬葉集私注四(巻第七、巻第八)を読み始めた。冒頭の解説に
雑歌は大部分が詠物であり、比喩歌はすべて寄物である。

詠物は風物を詠った詩であり、寄物は恋愛感情などを物に例へたものだ。文明は相変はらず、理、実際経験ではないこと、技巧を批判する。それは万葉集の多くに至る。
子規や左千夫の時代は、古今集との闘ひだった。文明の時代にもはや古今集が過去のものとなったので、敵が万葉集になったのか。或いは「萬葉集私注」を著作したのは昭和二十年代なので、万葉集の人気が激減したのか。
万葉をわたくし風に読み記す 時をふた波乗り越えて 文明及びアララギ派その歌論も分かる名著に

反歌  文明は万葉集に載る歌の多くを批判時の流れか
文明が、理、実際経験ではないこと、技巧を批判するのに合はせて、小生が万葉集を批判すると何かを考へた。それは比喩歌だ。まづ、心の動きを物に例へても、読む人が気付かないこともある。次に、恋愛の感情は通ひ婚だった平安時代と、その後では異なる。
ところが、文明は比喩歌を批判しない。或いは子規一門の流れに従ったのかも知れないが、「明星」誌などが大々的に恋愛物を展開したので、その影響を受けたのかも知れない。
子規一門で、左千夫、茂吉、純など恋愛事件を起こす人が多いのは、その欠点が現れたのかも知れない。ここからは笑ひ話で
左千夫の一門で、まともなのは赤彦だけだと云はれた。
そこで精神科医の茂吉が、全員を調べた。
その結果、一番異常なのは茂吉であった。

古今集が平安時代なのに対し、新古今集は鎌倉時代だから通ひ婚は終了してゐる。古今集と新古今集の違ひのほうが大きいはずだが、その点はどうなのだらうか。

八月二十一日(月)
見れど飽かぬ人国山の木の葉をも己が心になつかしみ思ふ

の「人国山」について
地名ではなく、他国、即ち吾が通ふべき範囲でない所の山の意であらう。「「人の国によばひに行きて」のヒトノクニと同じと見られる。

とした上で
男の女を求めて行き得る範囲は制限があつたものと見える。之は今でも地方などには残る習慣で(以下略)

今でも制限が残る地方を含めて、当時と今は「よばい」など習慣が異なるから、当時の歌を鑑賞する時はそのことを踏まへないといけない。
つるばみの衣(きぬ)は人皆事無しといひし時より著(き)欲しく思うほゆ

の「つるばみの衣」について
普通の妻、堅気の妻に譬へられる。大伴家持が妻を置いて遊行女婦と同棲する史生を教喩した歌に「紅はうつろふものぞつるばみの馴れにし衣に尚しかめやも」(巻十八、四一〇九)などあるは、其の代表的なものである。

とした上で
定まった妻は結局面倒のないものと聞いた、その時からして、我はその定まつた妻が欲しく思はれるの意で、事実上の婚姻形態の、ひどく乱雑であつた社会にあつては、反つてかうした心持も真実であり、詩情に通じるものであつたらうと思はれる。


八月二十ニ日(火)
うち霧(き)らし雪はふりつつしかすがに吾家の園に鶯鳴くも

について
家持の歌である。(中略)歌はどこか題詠的で浅いものだ。若し実際経験から出来た歌とすれば、ふる雪と鳴く鶯とを対比さす如き、自然の受け入れ方が浅いのである。

事実は小説よりも奇なりと云ふが、事実は歌より題詠的かも知れない。曇り空に雪が降りしかし鶯が鳴く。事実を定型にしたなら、散文よりその分が感心だ。
根底に、小生は定型化すること自体一点加点の思想がある。文明は、題詠的でない、理がない、に一点加点の思想があるやうだ。アララギ派内はそれでいいが、それ以外の人たちはさう云ふ基準に従ふ訳ではない。
最後に、文明が万葉集の多くの歌を批判したのと同じやうに、それ以降の人たちは技巧などで美しさを出さうとした。それが古今調ではないだらうか。古今集を否定し、万葉集の半分程度を否定すると、アララギ派は基準があるが、それ以外の人たちはどこで美しさを感じたらよいだらうか。
最後に、文明の作意は、雑歌に厳しく、比喩歌に甘い。ここも「萬葉集私注」の欠点ではないかと思ったが、新たな事を思ひついた。一般の人に分からないやうに恋愛を詠ふことは、万葉集の美しさの一つではないか。その際に序詞を使ふことも多い。雑歌に序詞を使ひにくい訳もこれで判った。(終)

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