二千六の三(和語のうた)信濃旅行メモ書き歌
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
五月十一日(木)
信濃の旅、信濃旅行外伝のほかに、メモ書き歌を作った。
諏訪のうみ松本の城善き光 飛騨木曽及び赤石の 北なか南やまなみと 信濃の国は旅先多い

反歌  善き光これは寺の名北信濃あがたの建屋その北にあり
反歌  草枕旅は信濃へみすずかる幾つ泊まるも尽きることなし
「信濃へみすずかる」と、枕詞を後にしてみた。
御母家には宿一つのみ 母が云ふ昔も一つその娘母と同じの学び舎で机を並べ若きを過ごす

反歌  母と叔母従妹が松本行きたとき泊まりた宿は滝の湯らしい
反歌  長いこと母らの宿は山辺にて叔母の学び舎同じ人かと
反歌  滝の湯は二つ目の伯母伯父夫妻気に入りたのち泊まり続ける
反歌  滝の湯は二つ目の伯母関はりが母は御母家の宿と関はり
母が何十年も前に、叔母従妹と松本へ行き、そのとき叔母の同級生が山辺で旅館を営んでゐると聞いた。しかし今回は、浅間温泉の滝の湯ださうだ。三番目と四番目の反歌は、ほぼ同日に聞いたが、多少矛盾がある。母は高齢なので仕方がないが、小生が内容を削除すると情報量が減る。矛盾があっても、年寄りの云ふことは記録するやうにしてきた。
早い朝 十と一つの靴並ぶ 我が靴履きて外を見て 戻ると一つ事起きるあり

反歌  十あまり一人が泊まる宿にても事が起きると息を抜けずに
散歩から戻ると、中の泊り客から従業員と間違へられたが、すぐに同じ泊り客だと判った。緊急事態が発生したと云ふ。よその部屋の老人が間違へて来て、帰る時に尿を垂らしながらだと云ふ。カウンターのベルを鳴らしても出ず、管理室の鍵が掛かってゐる。ここは従業員が通ひで、宿直がゐないやうだ。
いろいろなことが起きる。来た人が満足して帰られるやう、日々努める人たちに感謝をしたい。

五月十四日(日)
帰路で
都の環 圏ふ央ばと 外の環で だが外の環は繋がらず 都と圏ふほぼ同じ 圏ふを選び鶴ヶ島経る

反歌  鶴ヶ島川越を経て大泉外の環走り戸田西降りる
これは外伝の歌と表裏一体だ。(終)

信濃旅行余韻

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