千九百九十二(うた)田中圭一「良寛の実像」を再度読む
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
四月十六日(日)
田中圭一さんの「良寛の実像」は前に特集を書いたことがある。今回読んでみて、相馬御風は西郡久吾と異なり公正で冷静な立場なことを知った。前回も読んだはずだが、記憶から完全に消えてしまった。
もう一つ気づいたのは、田中さんが良寛盲信者を悪く云ふことだ。これは田中さんへの批判ではない。田中さんの説を悪く云ふ人が多い理由が判ったことだ。田中さんの説はかなりの信ぴょう性を持つ。それに対し、反論する人は感情で云ふ。ますます田中さんの説が有利だ。
とは云へ小生自身、良寛の実父は以南だと思ふ。小生は詩と歌から、以南は父親だし由之は実の弟だと判断した。最初は、両親がそのことを良寛に伝へず生涯知らなかった可能性も考へたが、その後この考へを破棄した。
ここが渡航説との違ひだ。渡航説も良寛盲信者からは評判が悪い。しかし、詩と良寛の生き方の二つを考へると、渡航説ですべてが解決する。厳密には生年四年差問題が解決しないが、この問題は渡航とは別だ。
円通寺良寛にとり最適の寺を出たあと 国の中寺請け制度が原因でもはや行くべき寺は無くなる
(反歌)
良寛が行くべきところ永平寺及び道元倣ひて渡航
(反歌)
良寛は詩と歌により永平寺行った感動書くことは無し
四月二十一日(金)
田中圭一さんの実父桂誉章説と、柳田聖山さん飯田利行さんの渡清説は、全国良寛会から評判が悪い。二つの説に反対する書籍で文章と内容が拙劣なのに、全国良寛会会長なる人が推薦の言葉を載せ、呆れたことがある。
全国良寛会の役職は、会を運営するためのもので、権威になってはいけない。意見を押し付けてもいけない。良寛が嫌ったことだ。過去のことなので今の全国良寛会は不明だ。どうか過去のことであってほしい。(終)
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