千九百九十三(和語のうた、普通の歌)行動日記(見次公園傍、熊野町、西川口、西早稲田)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
四月十七日(月)
志村坂上の、見次公園そばのマンションに勤務した。見次公園の中にある集会所に十五年ほど前に行ったことがある。なつかしい場所である。
凸版印刷は、工場横を通った記憶がある。本来はそれだけだが、工場の南半分が空き地になったため、ここもなつかしくなった。今回と十五年前はともに北側の横を歩いたが、先日別の現場に行く時に南側をバスで通った。そのとき、この空き地は何が建ってゐたのか調べて、凸版印刷だと判った。
昔来た見次の園がすぐ近く 紙刷る工(たくみ)場(ば)が並ぶ しかし一つは空いた場に 一つは半ば空にして 為替の値高くなり 皆金有りに見えれども 仕事は減りて頭のみ使ふことにて 国は傾く

(反歌) 工(たくみ)の場 裏の口にて一人来て立つは出入りの車を待つか
(反歌) 裏の口 中は空にて土を掘る石を除くの車の為か
凸版印刷は、為替が原因ではなく工場の再編成で、空き地が一つと、もう一つは半分空き地になった。しかしここから中山道を北上すると、幾つもの他社の大きな工場が消えた。
半分空き地の工場裏で、二車線道路を隔ててマンションがある。
四十(よそ)とせを経た縦横の長屋には 今は昔の懐かしさ 窓と入口厠の床も

(反歌) 工の場 裏の建物 入口の前を車の音響く 向かひの壁か道の表か
(反歌) 向かひ側石に似る壁その上の鋼(はがね)の壁で背が二つある
工場の、背が二つ分のコンクリートと鉄の壁が原因か、それとも道路の路面が原因か。

四月十九日(水)
同じ板橋区で熊野町に用事があった。帰りに町内を散策すると、まづ庚申堂がある。古い街は、かういふものへの出会ひが多い。そこが、近年になって田畑を宅地化した場所との違ひだ。
向かひに、宗教法人臨済宗、下に大きく日本佛光山・東京佛光山寺と書かれた四階建てビル型のお寺を見つけた。在日台湾人のお寺だと、そのときは思った。家に帰り調べると、歴史がある宗派ではなく、一九六七年台湾で開山。世界にお寺が二百あるさうだ。それで関心が激減した。
少し離れた隣の町内に、空襲犠牲者供養の地蔵がある。昭和二十年四月十三日に、板橋から志村にかけて空襲があった。罹災者四万五千人。防空壕が直撃を受け、一人の乳児を含む九人が亡くなった。戦後、ここに公衆浴場を開業した人が、供養のためお地蔵様を建てた。八面に地蔵が掘られ、うち一体は幼児を抱く。
ここで注意すべきことは、アメリカ軍はひどいことをする、しかしあの当時は植民地争奪戦争の時代だった、とアメリカだけを恨まない姿勢が正しい。それなのに昭和六十年辺りから、米英仏は正しくて日本が悪いとする、奇妙な思考が出て来た。米ソ冷戦が終結したためだが、こんな考へ方だと国が亡びる。
最後に熊野神社へ行った。ここは神社の運営が立派だ。不動尊、伏見稲荷と信仰性があり、御神水、撫でくま夫婦、おもかる石と娯楽性もある。全国の神社は、参考にするとよい。
板橋の熊野今から 六十(むそ)あまり五(いつ)とせ前に 板橋を分けて作られ年月は短いながら 熊野から分けた社(やしろ)によく似合ふ 神と仏も住みよい街に

(反歌) 熊野にはかのえさる塚かみほとけ戦で亡くなる九人も祭る

四月二十日(木)
熊野町までバスで四十分掛かる。今まで二往復して理由が判らなかった。本日地図を見て、遠回りすることが判った。中山道から山手通りに入れば近い。中板橋経由で川越街道へ抜けるから、三角形の二辺を走る。だから昨日は、帰りに別の経路にしようと思ったくらいだった。
中山道 荒川の北は埼京線 そのためバスは戸田橋で分断されて 北側は路線が減りて 南側路線はありて今までは気に留めなくも地下鉄がありて影響経由地にあり

(反歌) 地下鉄が道路の下を走るバス経路を変へて存続をする

四月二十四日(月)
本日は西川口に用事があり、帰りに駅の東側に寄った。銀行と郵便局に行くためだが、駅前通りは落ち着いて、しかし幾つもの銀行が立ち並び、良い雰囲気の駅前だ。
前に京浜急行の追浜駅でも同じことを思った。二つの駅に共通するのは、市の中心ではない駅だ。追浜駅は、駅前通りがアーケード付きの商店街だったところが、西川口と異なる。尤も追浜駅は三十年前だ。その年月の差が原因かも知れない。

四月二十六日(水)
本日は西早稲田に行く用事があった。ここは一年六ヶ月ぶりだ。前回は四時間の仕事だったが、今回は六時間だ。しかも清掃業務だ。清掃業務で六時間はきつい。清掃業務自体がきつい。懐かしさだけで引き受けた。
昼食は地下鉄早稲田駅出入り口付近まで往復した。駅近くに香港でよく漂ふ香りがした。見回すと香港料理店だ。ここにしようとも思ったが、混んでゐるので止めた。中国留学生と日本人向けの中華料理店で餃子定食(税込み五百五十円)を食べた。料理人は日本語を話せず、店員の中国人女性が日本語を話す。日本語を話せるアルバイト求人の貼り紙があった。
中国の留学生に有名な早稲田大学 なるほどと思ひ巡らせ 昼食は小規模の店で美味しく食べる

(反歌) 西早稲田一昨年に来たときに最後の清掃業務を終へる(終)

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