千九百九十一(うた)図書館は、出来の悪い本を購入してはいけない(「良寛 旅」で検索した二冊だったが)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
四月十六日(日)
図書館は出来の悪い本を購入してはいけない。良寛の旅の本を三冊借りて、二冊はこれに該当した。このうち一冊は、あまりに内容がひどいので、書いた人や題名さへ省くことにした。過去にも良寛について書かれた三冊が駄目な理由の追記二月二十六日(日)で言及した四冊目は、これらを省いた。題名などを挙げて宣伝になってはいけない。今回の一冊目は、これに該当する。
「はじめに」とその次の序章みたいなものを過ぎて、実質本文に入って最初から
先生、シルクロードの旅の準備は整いましたか。先日は御多忙中をお邪魔致しました。

内容の無い文章がだらだらと続く。この章の次の節も
越後の良寛さんの跡を雪の中にたずねたいと思い始めたのが何時頃であったか、もはやはっきりしない。しかし、夏にはすっかり固い決心になっていた。
適当な理(誤?)解で先学の著作のいくつかを読んでいるうちに、私は良寛さんを道端のお地蔵さんに連想しだしたらしい。

と中味のない文章が続く。「あとがき」には
この乱暴な即興の出版に当り、一方ならず〇書房にお世話になりましたが、〇〇社長とは飲み友達(敵?)です。

と、こんな書籍が出版された理由が書いてある。
こんな本を図書館が購入するのだから驚く。税金の無駄遣ひだ。

二冊目は紀野一義「良寛さまを旅する」。書名を挙げたので、最悪の本ではない。とは云へ
良寛さまの生まれた越後出雲崎は雪国です。冬ともなれば、見わたす限り、雪また雪の台地になります。(中略)こんな美しい雪国に詩人が生まれるのは当たり前でしょう。美しい大自然を見て育った人間は、生まれながらにして”詩魂”を抱いているのです。

これは、まったく意味の無い文章だ。美しい大自然を見て育った人間で、詩魂を抱かない人間がゐた場合、どう説明するのか。このあと
真冬に一度、〇〇家という旅館に泊まったことがあります。

旅の文章は、有益な情報か、感動したその感動ぶり(従って歌、俳諧、詩にしないと普通は駄目)、心の温まる話のどれかが無いと駄目だ。
私の古い教え子の一人に、〇〇という才気煥発の娘がいました。

駄目な本は、内輪のことを書きたがる。圓通寺と云ふ詩について(この本は、漢詩に正字体を用ゐる)
十二年も円通寺にいれば、托鉢を月に五、六回したとしても一年で七十回強、十二年で八百六十回以上も町の人と顔を合わせることになります。(中略)顔も知らず名前も知らないというのなら(中略)独りよがりで礼儀知らず、というものではないでしょうか。しかもそれを「僧は清貧を可とすべし」という生き方だったといわれるのはいかがなものでしょうか。

これは紀野さんが変だ。托鉢は、信徒が功徳を積む機会だ。僧は、皆を平等に扱ふべきだ。だから顔と名を覚えないのは、正しい托鉢のやり方だ。このあと、唯一まともなのが
良寛さまは二十二歳から三十四歳まで円通寺にいて(中略)近藤萬丈は十七歳ですから四国になど行けるわけはありません。萬丈は七十歳の年に高知で了寛という僧に会ったといい、それは三十年前のことだと書いていますから(中略)良寛さまは五十八歳ですでに五合庵におられた頃です。だから四国へなど行かれるはずはないと誰でも思うでしょう。

このあと
良寛さまは出雲系日本人

の章で
百済の人、新羅の人

の節題が付き
良寛さまの顔は、(中略)細長い顔でアゴが長く(以下略)

とくだらない話になる。夫婦の子を考へると判るが、顔は父親に似て性格は母親に似る、などがある。顔の形で性格まで判断してはいけない。この本の著者紀野一義は、奥付けに
宝仙短大学長を経て、正眼短大副学長。在家仏教団体「〇〇会」主幹。(中略)著書百数十冊以上。

とある。駄目な本を大量に出版すると、紙資源とインクが無駄だ。
図書館は自然資源を無駄にする書籍を購入してはいけない

今回の特集は、良寛の本二冊を取り上げたが、「良寛の出家、漢詩、その他の人たちを含む和歌論」には含めなかった。リンクが穢れる。(終)

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