千九百八十七(和語のうた)「どうする家康」は第十三回で見なくなった、どうするNHK
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
四月八日(土)
「どうする家康」は、第十一回であらすじが雑になったので、見なくなるのはもうすぐだらうと思った。そしてそれは的中し、再放送八日(本放送は二日)の第十三回の前半で見なくなった。
まづ第十一回は、田鶴と云ふ家康の妻の幼馴染が、夫の松平への内通を疑った今川氏真に処刑されたあと城主になり、松平と戦ふ。もし史実なら女城主になった経緯や、松平と戦ふことに家中が反対しなかったかなど、興味深い話は幾らでもあるのに、鎧兜姿で自滅する。美女が戦争に参加すると云ふ、五十年前に流行ったベルばらの焼き直しだった。だから途中でスヰッチを切った。
第十二回は、家康が今川の人質だったときに、今川の嫡男氏真に試合で手心を加へてきた。それを義元に見破られた。そのことを氏真が最後まで根に持って徳川と戦ひ続ける。そのつまらない筋書きに、途中でスヰッチを切った。(そのあと妻の実家、相模の北条氏に逃亡するが戦国武将としての今川は滅びるから、どうでもよかった)
これだけスヰッチ切りが続けば、見なくなるのは時間の問題だ。そして今回は、信長の擁立した将軍が、足はふらつかせる、げっぷはする、居眠りはするとんでもない男と云ふ番組紹介を読んだ。最初から見るのは止めようと思ったくらいだった。なぜなら、仏門に入り門跡だったが、兄が殺害され還俗したからだ。そんな人が、番組のやうな醜態をする筈がない。
切るのは確実だが見始めたところ、そこまで進む前に京都で家康家臣たちの退屈な筋書きでスヰッチを切った。これは予想外だった。
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第十一回の更に前の第十回は、時代考証がでたらめだった。家康の側室が同性愛だったのは変だ。そもそも同性愛は、化石燃料消費で人間が働かなくなったことで起きた。昔の大名にさう云ふ人がゐたとしても、働かないことが原因だ。武将にさう云ふ人がゐたとしても、筋肉を使ひ過ぎたり使はなかったりしたためかな。筋肉を使ひ過ぎるとホルモンの均衡が崩れることがあるさうだ。
家康の側室は、どれにも該当しない。つまり化石燃料消費で地球の癌細胞化した人間社会での話を、戦国時代に時代考証せず持って行った。
歴(へ)る史(ふみ)と異なる話面白さ無し 衰へた大きな河は濁りた水に(終)
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