千九百四十八(うた) 良寛について書かれた三冊が駄目な理由
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
二月十八日(土)
良寛に関する本を図書館から七冊借りたのに、二冊()しか紹介しなかった。そのまま放置する方法もあるが、理由を書くことも後世のためになる。書かなかった五冊のうち三冊を、ここで取り上げたい。
良寛について書く本多数あり 玉石混じる種々の本 書籍自体が石もあり 読む人にとりそれぞれが半信半疑 目指すのはどの良寛か十人十色

(反歌) 各々が合ふ良寛を見つけようだが史実にて皆が交はる
まづは伊丹末雄「良寛 寂寥の人」(94年発行)。この本の特長は、出家前に結婚し、しかし山本家が嫁の実家に金の借用を何回も申し入れるため、実家が心配して娘を離縁させたと云ふものだ。
小生は、この話に反対でも賛成でもない。伊丹さんの主張になるほどと思ふ一方で、他の良寛専門家は言及しないので、どちらが正しいとも云へない。
小生がこの本を紹介しない理由は、結婚離縁話がこの本に占めるページは僅かなのに、これ以外に特長がない。それに反して嫌だなと思ふことは二つある。一つは、良寛の書を持ってゐたが誰にあげたと自慢話が幾つかある。二つ目は、亀田鵬斎と街中を歩き手を携へ笑ひあった漢詩を載せたあと
ここには、鵬斎と親しく交わる自分への誇りさえ感ぜられましょう。率直に申しまして、こういうところに良寛のいやな面が露出します。

小生もこの詩はあまり好きではないが、幕府に嫌はれた鵬斎(そして伊丹さんが云ふには性格に問題のある鵬斎)と笑ひあったとするもので、自慢ではないだらう。また良寛の書は即興だから、そのときの心の動きや酒をの飲んだかどうかも影響する。「いやな面」ではない。
前に読んでいただきました、「只道(い)う詩を書け歌を書けと」という詩などにも、自分の文芸と能筆に対する、多少の、うぬぼれを感じます。

これもそのときの気分を書いたもので、うぬぼれではない。伊丹さんは元教員、短大教授、上越教育大非常勤講師。全国良寛会参与、會津八一記念館学芸顧問。元教員の限界かなと思ふ。教育者は教育の専門家であって、学芸でも同じやうに秀でることは難しい。伊丹さんが学芸顧問なのは、書の鑑定に限るのかな。

二月十九日(日)
立松和平「小説 良寛」は月刊『大法輪』平成十九年から二十二年。良寛の生涯について、いろいろな説がある中でそのうちの一つを選んだことはやむを得ない。良寛が在家のまま光照寺で他の雲水とともに修行したとするのはその一つだ。これ自体は問題ない。
しかし明らかに創作と思へることもある。例へば万秀は光照寺の住持を隠居した僧で良寛の親戚と云ふ説が、広く信じられてきたが、この小説では、光照寺の単に古参僧で、玄乗が住持として来たときに万秀はいつもと同じで草むしりをするので玄乗が後ろから蹴とばした話を書く。史実ではないことは、仮名手本忠臣蔵みたいに名前を変へるとよい。
小説は、とかく冗長に書く傾向にある。だからページ読みになってしまふ。名作なら一字一字を丁寧に読むのだが。仏道の教義も読まなかった。小説の中に歌や漢詩が入るのは、伊勢物語みたいで優れると喜んで読んだページもあったが、最後までは続かなかった。
小説は歌や発句と異なりて 名作以外冗長が多すぎるのが難点に 斜め読みからページめくりに

(反歌) 冗長が無い小説が優れるも作者と会社収入のため

二月二十一日(火)
北川省一「定本 良寛游戯」(一九八三年)は一番最初に読み、言及するのを止さうと思った。しかし二冊を書いたため、もう一度読み返した。荘子と僅かだがヨーロッパ哲学が出てくる。そして良寛を反骨にしたいらしい。
北川さんの略歴を見ると、フランス文学から職を転々とし、一兵卒で徴兵。戦後は共産党員を十年ののち、離党。良寛研究に専念。良寛との関はりは、刈羽郡(現、柏崎市)出身。
この本は発行所が東京白川書店、発行者は松本市壽。旧版はアディン書房から一九七七年。旧版が絶版になったので松本市壽さんが発掘したのだらうが、こんな本の出版人になぜ、と云ふのが正直な感想だ。
左翼には、社会主義を築かうとする人と、社会を壊さうとする人がゐる。戦前に成人を迎へた人は前者、戦後に成人になった人は後者が多い。北川さんは、戦前に職を転々としたため既に成人だったが社会破壊者なのかと思ふ。とは云へ、良寛や荘子に興味を持つところは、前者の傾向もある。旧版のあとがきに
私はわが良寛を、主として荘子とニーチェによって解釈してみた。

この一言に尽きる。或いは本文中の
健康なニヒリズムを奏でる無用者の游戯があるばかりだ。

ニヒリズムの特徴は、社会を破壊することだ。
ニヒリズム地球破壊と引き換へに起きた思想で その逆に唯物論は地球を壊す

(反歌) ニヒリズム唯物論と同意語だ資本主義こそその手段かな(終)

追記二月二十六日(日)
上記三冊を含む七冊を返却の後は、別の書籍三冊を借りた。一冊目は飯田利行さんの名著で、次の一冊は、良寛の母についての書籍で、その後に多くの人が母親問題を論じたので、今となっては陳腐感を免れなかった。残る一冊は、修士論文を書籍にしたもので、他の説を批判または論評するだけの内容だったので、全体の5%を飛び飛びに読むに留まった。

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