千九百二十八(和語のうた) 1.最新の歌論(その六)、2.歌会始(続編)、3.西行
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
一月二十二日(日)
文語と口語は、厳格に二分されるものではない。文語と思はれない口語、口語と思はれない文語を目指したい。とは云へ本日作った
土の下掘りた油を燃やすほか朽ちぬ腐らぬものな作りそ

は完全な文語ではないかと思ふ人もゐることでせう。
「堀りた」は「掘った」の音便を元に戻した。「ものな作りそ」は菅原道真の「春なわすれそ」と云ふ国民的表現を流用した。拾遺和歌集では「春を忘るな」だったが、百八十年後の平安時代末期に宝物集で「春なわすれそ」が現れた。「春を忘るな」はどう見ても文語だが、「春なわすれそ」は「止まれ見よ」と同じで国民的表現(かな?)。
(1.23追記)昨日は「 土の下掘りた油を燃やしたり朽ちぬ腐らぬものな作りそ」だったが、「たり」が文語の助動詞と間違へる虞があるため、修正した。

一月二十三日(月)
歌会始で、選者三枝昂之さんの
月蝕ののちの望月くまもなき地上にわれが友垣がゐる

で、「月蝕ののちの望月くまもなき」は「地上」の序詞であらう。これは五点加点。しかし次のやうに直したほうがよくないか。
赤き月のちの望月くまもなき地(ところ)にわれの友垣がゐる

せっかくの歌会始なのだから、和語で勝負するほうがよい。小生も三枝さんの名歌に触発されて、一首作った。
赤き月戻りて満ちて夜(よる)照らすこの世を満たす友と友の輪

音だけで判る歌を作った。最初は「赤き月戻りて満ちて夜(よ)を照らす世を満たすもの友と友の輪」。夜(よ)と世が、音から区別できない。
「友と友の輪」は「友と、友の輪」の意味で作った。だが一旦作ったあとは、作者の手を離れる。「友と友の、輪」と解釈する人がゐても、反対はしない。

一月二十四日(火)
歌会始の話題を終了して歌論に戻ると、五日前に序詞かどうか、枕詞かどうかは重要ではなく、読んで美しいと感じるかどうが重要だと書いた。
これは縁語にも当てはまる。古今集などの縁語ではなければ、縁語ではないとする説もある。しかし読むのは現代人だ。現代人が美しいと感じることが大切だ。

一月二十五日(水)
長歌、旋頭歌、仏足石歌が衰退し、短歌ばかりになったのは、歌合はせや和歌集が理由ではないか。貴族なら出世に役立つ。僧や庶民も、周りからちやほやされるのかも知れない。
小生は、歌には魂があると考へる。だから一旦作ったものは、捨ててはいけない。後から推敲することは構はない。推敲してより佳い歌にしたほうが、歌も喜ぶ。
音の数合はせて歌が出来たとき 歌に魂現れて 息をしながら残り続ける

(反歌) 魂が生まれる歌を詠むならば曲がった歌が出来ることなし

一月二十六日(木)
西行の山家集を「雑」まで読み終へた。小生は、西行が合はない。と云ふよりは、新古今集が合はないのだらう。更には、縁語が合はない。現代の感覚で縁語を使ふことを思ったが、それは序詞との併用か。或る話題を歌にすれば、それに関係する語がたくさん出るから、これらは縁語ではない。
今回の西行読みの前から、西行は好きでは無かった。まとまってではないが、これまでに西行の歌を幾つか目にしたからだらう。

一月二十七日(金)
西行の歌は、出家者とは思へないものばかりだ。聞書集に載る経の歌も同じで、信仰心を感じるものはなく、読む人の信仰心を高めるものでもない。
そのやうな中で、秋の歌だけはよい。例へば
足引のおなじ山より出づれども秋の名を得て澄める月かな

一つ飛ばして
秋の夜の月の光の影更けて裾野の原に牡鹿鳴くなり

縁語のものは概して悪い。掛詞はそれだけだと悪いとは限らないが
山人に花咲きぬやと尋ぬればいさ白雲と答へてぞ行く

みたいに、人を馬鹿にしたものは駄目だ。「白雲」が「しら」ないを掛ける。「知らない」は「ない」で否定するのであって「しら」で否定まで意味するのはひどすぎる。これで聞書集まで読み終へた。

一月二十八日(土)
西行が仮託した二つの歌合のうち、御裳濯川歌合一番右の解説に
「誓ひ」は仏・菩薩が衆生を救うために立てた誓願の意で、天照大神は仏の垂迹とする本地垂迹思想に基づいていう。

また、宮河歌合一番左について解説が
「山万歳を呼ぶ」という中国故事によって、外宮の永遠性を称える。

とあり、一番右について
伊勢の御神は天竺から流伝し、宮河を渡った度会の地に衰弱されたのであろう。

とある。これはよいことだ。当時は、唐土や天竺のほかに国がたくさんあるとは思はなかったのだらうが、ポルトガルから鉄砲が伝はって以降は、唐土や天竺との相違を主張して国内独自を守れるはずがないからだ。
以上を除いては、歌の優劣を競ふことは嫌ひなので、二つの歌合は頁読みになった。そのあとに続く歌集も同じ。西行は、歌で有名になった為、出家まで正当化されてしまった。西行の出家について、賞讃すべきものは一つも無い。(終)

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