百九十二、ヒトラーと松下政経塾後期出身者の共通点


平成二十三年
八月十日(水)「ヒトラーの演説」
昨夜のテレビでヒトラーの演説技術をやつてゐた。すぐに演説を始めず聴衆をじらし、始めはゆつくり話してだんだん速度を上げ、強調したいところで手を上に挙げ、アイコンタクトを取る。
ヒトラーはマイクとスピーカーが生んだ怪物である。前から気になつてゐたが、日本のリベラルと称する連中は口先だけでヒトラーと共通点がある。特に松下政経塾の初期の出身者は別にして後期の出身者はこれが当てはまる。

八月十四日(日)「増税相、野田」
民主党の代表戦がまもなく始まる。野田が立候補するらしい。野田は駄目な男で国民の視線に立てない。上から見下ろすだけだ。だから消費税の反道徳性に気が付かない。消費税は日本の社会に合わない。だから三%を導入しただけが世の中が変になり、五%に上げたら修復不可能な経済になつた。
野田はなぜ菅の過ちに気がつかないのか。しかも大連立を狙ふところまでいつしよだ。野田を代表に選んだら本当に民主党は消滅する。

八月十五日(月)「初期の松下政経塾」
松下政経塾のうち前期出身者を批判から除いたのは理由がある。当時の松下政経塾は海の物とも山の物とも知れなかつた。そこに入るには相当の決意が必要だ。だから優秀な人も混在しよう。しかし前期出身者でも野田は例外である。増税相、ミスター増税、増税人間、増税党総裁なのだから。
前期出身者がそれなりに政界で活躍するのを見て、自分もああならうといふ人間が殺到した。しかし国民のための政治家を目指すのではなく、演説だけで偉くなりたいといふ人間が多くなつた。ヒトラーユーゲントの誕生である。

八月十八日(木)「後期の出身者はどうすればよいか」
後期の出身者も心配はいらない。国民の目線を取り戻すことだ。自由は規制と対であり最適値がある。民主主義は手段であり目的ではない。中流の下(げ)や下流の収入に比例して民主主義は幾らでも理想度を達成する。アメリカは先住民と野生生物から奪つた土地で贅沢だから世界より民主主義が進んでゐるように見へる。
松下政経塾の教へることはおそらく口先だけの演説と、自由、民主主義が大切だ、だからアメリカだといふことであらう。後期出身者は政経塾出身を表面に出さない。そして民主党の場合は前原グループや野田グループから脱退する。自民党の場合はタカ派から離脱する。それだけで国民の政治家になれる。
ここでなぜ自民党の場合にタカ派からの離脱が必要かを説明しよう。保守には守旧保守と文化保守がある。拝米から入つた保守はどちらとも異なり新自由主義となる。守旧に反対するからと言つて国民は騙されてはいけない。

八月十九日(金)「アメリカ民主党タカ派と同じ路線を歩んではいけない」
アメリカ民主党にはタカ派が存在する。彼らは左翼崩れである。自由と民主主義を叫び世界で戦争を引き起こす。彼らの欠陥は一世代前を時代遅れとして切り捨てることだ。
日本も明治維新以降はこの路線をとり、そして先の戦争を迎へた。日本の政治家はアメリカ民主党の真似をしてはいけない。

八月二十日(土)「ヒトラーの束縛」
ヒトラーは国家社会主義ドイツ労働者党を自称した。そのため戦後は、右翼と左翼を混ぜるとまずいのではないか、と考へる人が多くなつた。
国家主義は当時の世界流行だつた。何しろ世界のほとんどは列強の植民地である。
戦時はどんな国でも統制経済になる。敗北の可能性が高いほどその度合いは強くなる。社会主義は国民のためだが統制経済は戦争のためである。目的が違ふが内容は同じだからペテン師が意図的に混同しようとすればできる。
当時のドイツは失業率が高かつた。第一次世界大戦の賠償金で経済は四苦八苦だつた。世界流行だし国内でも人気のある上位二つを合せれば政権を取れる。口先演説怪人のヒトラーはすぐに気付いた。
現在に翻ると世界の流行は自由と民主主義だ。国内も社会主義はソ連、中国、カンボジアの失敗で評判が悪い。こういふときに自由と民主主義を叫び首相になりたい連中がゐる。自由民主党は問題ない。社会党の左右合同に対抗して自由党と民主党が合併しただけである。

八月二十一日(日)「文化主義は国家主義と異なる」
国家主義とは他人の犠牲の上に自分たちだけいい思ひをしようといふ思想でありその手段として戦争を用いる。だから文化主義とは正反対である。文化主義は各国、各地域が先祖からの文化を後世に引き継がうといふものである。各国、特に西洋文明から攻撃にさらされるアジア、アフリカに呼びかけるが、西洋が時地域の文化を守ることには賛成であり、特にカトリツクやギリシア正教とは連携し地球温暖化防止に当たることが可能である。各国の文化を尊重するから国際派である。
最近は戦争を手段に用いずグローバリズムを用いる巧妙なやり方が出てきた。国内でも他人の犠牲の上に自分たちだけいい思ひをしようとする新自由主義は国家主義の新種である。グローバリズムやリベラルを叫ぶ前原、野田派とヒトラーとの共通点である。

八月二十二日(月)その一「グローバリズムといふ名の偏狭なナショナリズム」
本来は民族といふ言葉は必要がない。西洋で生まれた言葉でありデジタル発想だからである。しかし長く使はれてきて急に使はなくすると少数民族保護で支障をきたすかも知れない。だから帝国主義に反対するものを民族、偏狭なものをナシヨナリズムと区別して用いることにする。
松下政経塾後期出身者で気になるのはその拝米志向である。特に軍事でアメリカに頼るのはナショナリズムである。戦後の日本は防衛を除いて軍事力は持たない。だからアメリカとの関係を緊密にして中国、韓国、ロシアと対抗しようとするのは日米で一国扱ひにする日本からの片側ナショナリズムである。だから共通点を作らうと自由や民主主義を盛んに叫ぶ。
日本ではアジア人を低く見る発想はもともとなかつた。おそらく第一次世界大戦の後あたりから発生した。
ナシヨナル(松下電器)創業者の松下幸之助は松下政経塾の後期出身者のナショナリズムに驚いてゐることだらう。前原は国土交通相、外相のときに尖閣諸島問題を起こした。前原の発想は日華事変のときと変らない。着地点のないまま紛争を拡大させる。あとは軍事力だけが頼りである。だからアメリカに擦り寄る。ナショナリズム以外の何物でもない。尖閣諸島と竹島と北方領土は騒がずに近隣諸国と友好を深めて解決すべきだ。

八月二十二日(月)その二「前原・野田グループの罪悪」
尖閣諸島問題は前原のせいで大問題になつた。ところが枝野は「中国に進出した企業は自己責任でやってもらわないと困る」「経済的なパートナーシップを組む企業はお人よしだ」と無責任なことを言つた(「百三十八、枝野は国会議員失格である」へ)。弱肉強食ですべては自己責任といふ訳だ。
計画停電で国民が苦難のときに蓮舫は「権力で自由な行動や社会活動を制限するのは最低限にとどめるべきだ」と述べた(「百五十九、石原都知事の発言が正しい理由」へ)。
前原グループと野田グループは重複メンバーも多いため、マスコミから前原・野田グループ、或いは前原枝野・野田グループと呼ばれることが多いそうだが、その新自由主義体質は枝野と蓮舫の発言で明らかだ。国民が困つてゐても目に入らない。自由と民主主義しか言はない。アメリカ民主党タカ派にそつくりである。
こんな連中を首相に選んだら日本は大変なことになる。

八月二十三日(火)「マスコミはアヘンだ」
前原・野田グループの特徴はマスコミに目立つことだ。しかしマスコミに目立つてよいことは何もない。ごく短期間の人気は出る。しかしすぐに納まる。政党や労組がそうだが、マスコミに載り支持者や相談者が来る体質になると、ときどき載せてもらわないと当選や組織財政が維持できなくなる。アヘン患者と同じである。
マスコミにちやほやされたのは、昭和三十年代に江田三郎、四十年代は美濃部亮吉、五十年代に管直人、平成に入り細川護煕、現在では前原・野田グループである。
江田は社会党を駄目にした。美濃部の都知事三期目はひどかつた。その後参議院に転出するといふ醜態も演じた。管直人は市民団体から政党結成に参加と新聞で報道された直後に市民団体から除名になり、落選の次にマスコミのおかげでやつと当選しマスコミに踊らされる人生を歩むことになつた。
それでも昔のマスコミは自民党一党支配を終らせるといふ目標があつた。その後変質した。
マイクとスピーカーの発明でヒトラーが現れた。編集用コンピュータや高性能印刷機やテレビカメラの発明でマスコミ露出政治家が現れた。どちらもその時代の流行二つを高く掲げ、軍事力に頼る。戦後はアメリカ軍に頼る。国民のことが眼中にない。(完)


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