百九十一、亀井静香はイスラム教を馬鹿にしたので政界から引きずり下ろそう


平成二十三年
八月九日(火)「イスラムを馬鹿にした亀井静香」
亀井静香は許し難い男だ。死刑廃止の会合で「イスラム社会でもあるまいし、『目には目を、歯には歯を』にこだわって被害者の報復感情を満足させる必要はない」と暴言を吐いた。イスラム教をこれほど馬鹿にする日本人は珍しい。全世界のイスラム教国とイスラム教徒は団結し日本の亀井静香を政界から引きずり下ろそう。亀井を引きずり下ろせば日本人のイスラム教への認識が大きく改善される。

江田五月も許し難い。同じ会合で「世界の文明は、そちら(死刑廃止)の方向に動いているのではないか」(読売新聞)と暴言を吐いた。日本は世界とは逆を向いてゐると言ふのだ。戦前はおろか江戸時代、安土桃山時代、室町時代、鎌倉時代、平安時代を含めてこのようなことをいふ人間は許されないであろう。室町時代以前は、世界とは東アジアであつたが。

八月十日(水)「亀井静香は現代の東條英機だ」
戦前のアジアは、日本、中国、タイを除きすべて西洋の植民地であつた。だから世界の標準とは西洋の標準であり、それは植民地の奪い合ひであつた。その西洋の真似をしたのが戦前は東條英機であり、現在は亀井静香である。周囲から強権的に見へるところも似てゐる。
戦後の独立運動や独立戦争を経て植民地は解放されたが、西洋は世界標準といふやり方で相変はらず非西洋地域を圧迫してゐる。亀井はイスラム教は見下してもキリスト教や西洋文明は批判できまい。ここでも他のアジア地域を見下した戦前の日本にそつくりである。

八月十一日(木)「死刑は日本の誇るべき文化ではない」
江田が更に間違つたことを言つた。TBSによると「世界の大きな流れの中で死刑は日本の誇るべき文化という人もいるが死刑を執行していなかった時代もあった」
死刑は別に日本の誇るべき文化ではない。死刑はないほうがよいに決まつてゐる。それなのに極悪犯罪者が出てしまふ。社会のためやむを得ず死刑にするのではないか。だから犯罪の少ない世の中にしようと人類は長い年月をかけて法律や慣習や社会の仕組みを作つてきたのではないのか。
長年かけて築いた社会を短期間で壊そうとするのが、朝日新聞や民主党内の新自由主義者である。民主党内の新自由主義者には、計画停電で国民が困つてゐるときに「規制は少ないほうがいい」と言つた蓮舫、「節電は法規範で縛つてできるものではない」と言つた枝野、そして今回の江田などである(「百五十九、石原都知事の発言が正しい理由」へ)。

八月十四日(日)「新聞の偏向記事」
多くの日本人は新聞は公正だと思つてゐる。しかし先の小沢氏叩きで日本の新聞の異常に気が付かなくてはいけない。その新聞各紙のうち朝日と小型朝日ともいふべき毎日、中日(東京新聞などを含む)が死刑廃止の偏向記事を載せる。これは国民感情とは合わない。特に自民党政権時代の鳩山(弟)法相のときはびとかつた。朝日と小型朝日が偏向記事を書く理由は、一つには西洋の猿真似であり、二つには左翼崩れの特徴である公益無視である。

八月十九日(金)「死刑のない社会に」
私も死刑のない社会にすべきだと思ふ。しかしそれは死刑になるやうなことをする人のゐない社会で達成すべきだ。それと反対のことをしてきたのが朝日新聞と新自由主義者だ。
乳児を母親が殺したといふ記事を朝日新聞で読んで十年ほど前だらうか、憤りを感じたことがあつた。そういふ社会にする記事を書き続けたのが朝日新聞だ。西洋人とアジア人は自由の感覚が異なる。その西洋人も宗教改革や、フランス革命や、こんな悲惨なことは最後にしやうと皆が思つた第一次世界大戦や、第二次世界大戦を経て現在の感覚がある。
それなのにそういふ背景を考へずに死刑廃止を叫ぶ連中は悪魔の仲間と言つても過言ではない。

江田五月と議論するときは、江田が死刑執行を止めてゐる死刑囚の犯行内容を検討すべきだ。そのために法務省はそれら死刑囚の人数と名前と署名拒否日数を公開すべきだ。(完)



メニューへ戻る 前へ 次へ