千八百六十三(和語のうた)「全訳古典選集万葉集」を再度読む
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十一月一日(火)
本の返却期限がまだあるため、前回に引き続き、再度読み始めた。巻一は優れた歌が多く、退屈しなかった。巻二は死を悲しむ歌で、これも美しい。
巻三は、酒の歌だけは駄作。それ以外は美しい。雑歌、比喩歌、挽歌すべてが美しい。巻三の概説に
比喩歌の内容はすべて恋の歌であるが、(中略)相聞とせずに比喩歌と(中略)表現技巧による分類がなされたのは(中略)文学意識の発達によるものであった。それは大伴家持の手になるものとみられている。次の巻四が全巻相聞の巻であって、両巻でひとまとまりの形態を成すことになる。

本日は巻四の最初の部分で時間切れになったが、巻四は退屈で期待外れだ。巻三は比喩歌、巻四は相聞歌だから違ふのは当然だが、巻二の相聞歌と比べても、巻二にある素朴さが無くなる。

十一月二日(水)
巻四を読み進むと、巻二と違ふことはなかった。たまたま最初のほうに、さう云ふ歌が多いだけだった。或いは比喩歌の後なので、さう感じたのか。
巻五は、物語に歌を埋め込む形式が幾つか続く。歌は不定形を定型にするところに特長がある。さう強く感じた。巻六は、上品な歌が続く。巻五の「定型にするところに特長がある」は、裏を返せばそれ以外に特長が無い。とは云へ巻五は埋め込むことで美しさを出した。当ホームページと同じ発想である。ここで(上)は終了する。
五つ目の巻では歌に物語り在るものもあり読むと楽しい

巻七は雑歌、比喩歌、挽歌。これまでの巻と同じで、万葉集普通の歌。退屈しない。巻八は(巻七もさうだが)意味の序詞が多く、難解。

十一月四日(金)
巻九は解説に
この巻の歌は、旅と伝説に関するものが多く、集中最も文学意識がはっきり出ている巻である。

とある。読むと、確かに文学性が高い。そして声調が滑らかだ。掛詞が多くなる。
難波潟潮干に出でて 玉藻刈る海人(あま)をとめども汝(な)が名告(の)らさね
  和(あは)する歌一首
漁(あさり)する人とを見ませ 草枕旅行く人に わが名は告(の)らじ

これは楽しい歌だ。相聞歌少なく、挽歌も冷静なものが多い。
巻十は声調美しい。秋の雑歌に七夕多い。なかでも
天の川川門八十あり 何処(いづく)にか君がみ船を わが待ち居(を)らおむ

は美しい。唯一の難点は川が重複することで、これが無ければ万葉集でも上位に入る。2188、89首目のどちらにもある「妻梨の木」は「無し」と「梨」の掛詞だが、枕詞に近く、序詞には枕詞と同じで意味の無いものも多いか。
巻十一に入り
港にさ根延(ば)ふ小菅(こすげ) ぬすまはず 君に恋ひつつありかてぬかも

の解説に「ぬすむ」は
ひそかに事を行なう意

とある。職人が師匠の技を真似することを「ぬすむ」と云ふが、これは「盗む」のではなく、師匠から云はれなくても真似をする意味で、ここに原形を見つけた。
巻十二に入り、
高麗剣(こまつるぎ)わが心から 外のみに見つつや君を恋ひ渡りなむ

の高麗はワの枕詞で、高麗剣は柄頭に環(わ)があるからと云ふ。枕詞は、掛かれる語があるからできたのではなく、掛かる語から発生した。さう思はせる組み合はせである。
問答の歌、羇旅(たび)に思(おもひ)を発(おこ)す、別れを悲しぶる歌は、文学性が高く美しいものが多い。

十一月五日(土)
巻十三は、記紀調の長歌が美しい。物語を詠んだ長歌も美しい。挽歌は美しい、特に長歌。
十三(とをあまりみつ)の巻では古と物語りあり美しさあり
亡くなりた人を悲しむ長き歌短き歌も美しさあり

巻十四は解説に重要な情報が二つある。一つ目は、武蔵が元は東山道だった。相模と武蔵の間が遠浅で道が無かったのかな。もう一つは東国は直轄だったのと、壬申の乱で勝利に貢献したことで、これが東歌に注目した原因か。
東歌は万葉集の中でも人気がある。そして東歌は序詞が多い。現代の人も序詞を使ったほうがいいのではないだらうか。小生も細々とではあるが、使ひ始めた。

十一月六日(日)
巻十五は、前半が新羅へ派遣された使節、後半は中臣宅守が配流になったときの歌である。どちらも物語性が強く、小生の普通文に埋め込んだ歌と、思想は同じと思ふ。
物語り歌物語り美しく飽きることなく時のみ進む

巻十六は、前半が昔話で有意義だ。後半は宴席の歌、芸人乞食者の歌など、文学性は低い。前回も引用したが、桜井さんはそこまで転落したのではないとする。
巻十七は概説に
巻十七以下の四巻は、大伴家持の作品が中心になっている。(中略)ほぼ年代順に排列されており、家持の歌日誌の体裁をした備忘録のようである。(中略)漢詩もあり、歌や詩に添えられた長い書簡文や序文もある。

さて万葉集は詞書と呼べるものはほとんど無く、右注はあることもあった。巻十六は物語りだから、詞書の位置に物語りが来ることもあった。その副作用だらうか巻十七の先頭に長い文章が来る。まだ十首の解説だからよい。暫く先に三首の解説が詞書の位置に載る。
小生は詞書が合はない。右注なら読むが、歌を読む前に長い文章があると、ほとんど読まない。

十一月八日(火)
巻十七の防人の歌は、最初と最後に序詞の歌が多く中盤に少ない。次に、短歌は字数が限られるため「のやうに」「ではないが」を省いた。これが序詞(有心の序)ではないだらうか、と思った。三番目に、掛詞は仮名(万葉仮名)で書くから活きるのではないだらうか。漢字で書くと、前の句か後の句か、どちらかの意味になってしまふ。
昨日と本日で、三つのことに気付いた。(終)

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