千八百六十四(うた) 地元の話題(土地の細分化、庭思想の消滅、遠くが見えなくなった)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十一月一日(月)
前回の「地元の話題」で触れたビジネス旅館跡以外にも、元駐車場(または空き地)三ヶ所と元古い家一ヶ所で土地を細分し宅地化があった。
このうち広い土地は、以前だったらマンションを建設しただらう。今は贅沢になったから、マンションは駅から7分以内ではないと駄目ださうだ。
これは東京へ通勤する人が多くなったのかも知れない。勤務地が近いのなら、15分歩いても苦にならない。しかし駅から45分電車に乗ると、駅までは7分以内がよい。これはマンションの場合で、一戸建ては20分まで許容範囲だ。
マンションに人気が無いもう一つの理由に、駐車場がある。機械式駐車場は不満が多い。車の出し入れに時間が掛かるし、混む時間帯がある。
容積率の上限があるから、マンションの利点は機械式駐車場くらいだ。一戸建ては平面駐車場だが、マンションは立体にして土地の面積を捻出する。その機械式駐車場が不便となると、利点は土地の持ち分が少ないことにより初期費用が安いだけだ。
ここで初期費用の清算は、不動産を売却するまでを含む。一世代で完結することは少なく、二世代またはそれ以上が普通だ。つまり土地を売れば初期費用のうち土地の分は戻る。マンションはそれが少ない。総額ではどちらも同じだ。
マンションは減価償却どんどん下がる 一戸建て原価償却家部分のみ
十一月二日(火)
元駐車場(または空き地)のうちの一つは、家屋と路地を隔てた納屋もあった。屋根と後ろ側の壁だけだから盗難の惧れがあるが、中は農機具なのでその心配はなかった。あの納屋が無くなったのは、一つの時代が完全に終ったことを物語る。
1Km四方を見渡すと、広い屋敷にある木立ちもほとんど無くなった。あとは見沼代用水の支流だけだ。しかし水流がない。昔からあるものに送電線がある。土地を買ふときに、送電線の真下は建築できないがその隣を含むから面積が広い。我が家もここを申し込んだが、抽選で外れた。当時は、庭が広いほうがよいと云ふ思想があったことを物語る。今は、駐車場にするか庭は手入れが面倒だからコンクリかシートにして雑草が生えないやうにする家が多い。庭思想の消滅も、一つの時代が終ったことを示す。
庭思想車社会が消滅させる 庭思想小家族化が消滅させる
十一月四日(金)
別の元駐車場は、かなり広かったと思ったが、本日見ると家九軒分程度だ。これならマンションを建てても小規模になってしまふ。大きくないとマンションは無理なのだらう。
さて、国道十七号から東北本線(京浜東北線を含む)の線路迄、かつて自転車で、車に邪魔されることなく走ることができた。駅前通りは文化センターでやや左に折れてそのまま国道に至り、昭和四十五年くらいから今の広さだが、昔はほとんど車が来なかった。
一ツ木通りは、南浦和陸橋から今の文蔵一丁目バス停までが一車線半で狭く、車はほとんど走らなかった。バス路線も無かった。今は外環の国道に繋がるため、車が激増した。
その他の道路も、昔は車がほとんど走らなかったが、今はある程度多くなった。
そのため東北本線まで自転車で走りにくくなった。かつて文化センター前の通りを少し南に行くと、東北本線を走る列車の音が聴こえることがあった。走行する光が見えることもあった。これは反射光か。
田があると遠くの音と光が届く 市街化は遠くを隔離つまらない土地
十一月五日(土)
遠くが見えなくなったと云ふと、かつて我が家の窓からNHKラヂオの川口放送塔が見えた。京浜東北線が荒川鉄橋を渡り川口、西川口を過ぎて蕨でもよく見えたあの二本の鉄塔である。夜になると、左右の鉄塔に赤い光が交互に点滅した。確か点いたままの光源と点滅する光源があり、点滅するものが左右の鉄塔で交互だった。昭和五十七(1982)年に久喜へ移転した。
例へあったとしても、今では我が家からは見えない。その十五年くらい後にマンションが立った。我が家からは遠いので日照の影響は無いが、かつて放送塔があった方角にそびえ立つ。
日が暮れて放送塔が二本あり赤が交互に光る暗闇
かつて暗闇で遠方を見ると、東京方面の地表が明るく、他の方向は暗かった。今では暗闇が無くなった。西洋野蛮文明の無駄を示す。(終)
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