千八百六十一(うた)最新の歌論(その三)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十月三十日(日)
メモ書き歌(その四)の歌を作る時に分かったことは、一句目が七文字で始まるしか方法のない歌は、枕詞を先頭に持って来ればよい。七文字句にはたくさんの候補があるので(二句目、四句目、五句目が七文字なので、入れ替へる方法もある)、枕詞を取るものを選べばよい。「草枕上総と安房へ行く旅を(以下略)」と「鳥が鳴く東の都(以下略)」は、この方法で作った。
枕詞には、定型化を助ける役割もある。それが今回の発見である。

十一月三日(水)
万葉集の巻三では、相聞歌とせず比喩歌とした。巻四以降では、相聞歌に序詞が多い。相聞歌は一歩間違へると、読む側にとり退屈なものになる。その対策が必要だ。
相聞歌若しくは比喩歌序詞で防ぐ退屈と与謝野晶子化


十一月六日(日)
歌の中に音便は無いほうがいい。しかし「読みて」「思ひて」など不自然と感じる人もゐることでせう。これまで不自然と感じることの少ない場合に非音便を進めてきたが、本日より音便と非音便はどちらも避けることに気付いた。「思ったが」を避けて「思ひかけたが」にした(竹中半兵衛と黒田官兵衛へ)。
近代化擬古化を避けて穏便に音便をやめ美しく詠む

ここで「穏便に」までを序詞と考へてはいけない。序詞は歌を美しくするものだ。これが本日二番目の歌論だ。それでは上の歌は何だらうか。
近代化擬古化を避けて音便をやめれば美し口語の歌も

掛詞にした。しかし読む人は掛詞だと気付くだらうか。
近代化擬古化を避けて穏便にやめれば美し口語の歌も

これなら大丈夫だ。歌は刻々と進化する。

十一月十日(木)
万葉の時代は、文学を目指さなかった。それでは何を目指したのだらうか。小生は記憶だと思ふ。仮名の無い時代に、記録を残さうとすれば、漢文にするか、歌にして歌ひ継ぐ方法がある。後者が和歌である。
歌化して記憶に残すそのために枕詞や序詞などが
(終)

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