千八百七十四(和語のうた) 「新潮日本古典集成 萬葉集」を読む
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十一月十二日(土)
旺文社の「全訳古典選集万葉集」(桜井満 訳注)を二回読んだ。同じ人の訳注ばかり読むと偏ると思ひ、次は「新潮日本古典集成 萬葉集」を読んだ。
最初の「籠もよ み籠持ち(以下略)」の訳が「ほんにまあ、籠も立派な籠、(以下略)」なので不信感を持ち、原文のみを読んだ。「全訳古典選集万葉集」では枕詞、序詞、注意を要する語句に(1)(2)・・・が付き、欄外に解説がある。「新潮日本古典集成 萬葉集」は、原文に揮毫が無いので欄外の、訳と解説を読むしかない。と云ふことで、全五巻のうち途中からは巻末の解説のみを読み第四巻に至った。
第四巻の解説は立派である。この本は五人が校注を担当し、解説も各巻で異なる。第四巻は橋本四郎さんである。大伴四綱と云ふ下級役人の
月(つく)夜よし川の音(おと)清しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ(巻四、五七一)

について、大伴旅人の帰京の送別会で、四首の末尾にある。まづ四綱より少し上の人が
み崎(さき)みの荒磯(ありそ)に寄する五百重(いほへ)波立ちても居ても我が思へる君(巻四、五六八)
上司、旅人をさして「君」というのは当然のことであるが、「立ちても居ても我が思へる」という修飾句は(中略)後に残る妻の悲別歌--別れに際しては、まず女の悲別歌が歌われる習わしであった--を装いながら述べたものであろう。序詞に当る上三句には(中略)荒波を案じる心がこめられている。

次に、今の人より少し上の役人が
韓人(からひと)の衣染むといふ紫の心に染(し)みて思ほゆるかも(巻四、五六九)
大和へ君が発つ日の近づけば野に立つ鹿も響(とよ)めてぞ鳴く(巻四、五六九)
「心に染みて思ほゆ」という、恋歌にふさわしい表現が見られ、(中略)紫は、三位の位を表わす色である。(中略)序詞である上三句を結ぶこの語は、同時に「思ほゆ」の対象としての旅人をにおわせ(中略)送別歌たりえている。

これに対し四綱の歌は
沈んで白けそうな場を、何とか盛り上げようとする(以下略)

万葉集を、選歌したものではなく読み始めて、歌と歌の流れが大切だと気付いたが、ここまで理解するには、解説が必要だ。
山高み夕日隠りぬ浅茅(ぢ)原後(のち)見むために標結(しめゆ)はましを(巻七、一三四二)
など、比喩歌にはしばしば「標結ふ」や「標刺す」が用いられるが、いずれも男の側からの働きかけを意味する。大伴坂上郎女は、男を装って(中略)吟じたと見ることができる。
ところがその場に居た大伴宿祢駿河麻呂は、これに答えて
山守はけだしありとも我妹子が結ひけむ標(しめ)を人解かめやも(巻三、四〇二)
と応じた。(中略)この場合、答え手は(中略)他の誰かでもよかったのであろう。(中略)宴の席における歌の楽しみ方一つであった。

これも解説無しには、理解不可能だ。額田王が
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る(巻一、二〇)
と、これに答えた皇太子、大海人皇子の、
紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑに我れ恋ひめやも(巻一、二一)
も、同様に、皇子が恋人役を買って出て贈答の形に仕立て上げたものと見られる。(中略)「雑歌」の部に収められているのは、右のような事情による。

話は先へ進み
官人、貴族の歌の集いには、酒宴の席に召される遊行女婦(うかれめ)もいっしょになって、歌の披露をすることが多かった。(中略)土地の遊行女婦が、束の間の出逢いの場で男への思慕をせつなく歌って、座を取りもったものであろう。

さて古歌を誦詠したり
新たな歌に取りこまれて再生した。萬葉歌の生れる場は、時に古歌のよみがえる場でもあったわけである。

その対極に即興歌があり
さまざまな形があるが、そこに共通するのは、歌に盛られた心情よりも、何をいかに巧みに詠むかが価値を左右するという点である。(中略)遊びとして歌を楽しむ場もあったわけである。

これは大賛成だ。
宴にて詠まれる歌や古い歌遊び心の歌も尊し


十一月十三日(日)
第四巻の解説に気を良くして、改めて第一巻を読むと、「籠もよ み籠持ち(以下略)」の次からは、悪い訳注がない。とは云へ、小生が調べたいのは枕詞と序詞なので、原文に(1)(2)・・・が無いと不便だ。だから再び「全訳古典選集万葉集」(桜井満 訳注)を借りることにした。
巻末の解説については、第五巻井出至さんの文に
花も鳥もそれぞれに、生命力に富む呪物(じゅぶつ)と見られてきた。花が咲き乱れ、群れ飛び鳴き囀(さえず)ることは(中略)瑞祥とされた。

これは重要だ。同じく
中国で漢詩に詠まれた「山川(山水・山河など)」から神仙性が払拭せられ、自然の景物(中略)になるのは六朝以降(以下略)

それに対応して
萬葉集でも、第四期の大伴家持(中略)あたりになると、たしかに(中略)写実的に描かれていることを知る。

話が進み、一日や昼夜について
萬葉びとは(中略)昼と夜とを一続きの時間とは見ないで、元来まったく別の時間が交互に廻っているものと見ていたらしい。

次に
男が女の許(もと)を訪ねるのは一般に月のある晩(月読命の統制力の及ぶ時間帯)に限られており、月のない晩には、旅立ちすらしなかった。

この感覚は分かる。祖母(父方)がお天道様が見てゐる、とよく言った。仏道や神道にこの思想はないから、萬葉の時代から続くのだらう。昼は太陽、夜は月が見てゐる。次に
一日が前夜から始まるという意識は、現代においては(中略)わずかに残されているにすぎない。

この文を引用したのは、現代のことではなく昔は前夜から始まってゐた。次に比喩歌で
「海」は、相思の男女を取り巻く世間(中略)、それに付随して「風」や「波」は、男女の仲を阻む障碍(中略)として用いられている。

次に
「玉」は、大切に思う人、とくに女性を譬える(中略)女性はまた、植物に譬えられることが多かった。「梅」や「菅」はその一例である。

最後に
大陸から新しい文物や思想が紹介され、大化の改進によって政治体制も一新してくるようになると、(中略)古来の言霊信仰は徐々に薄れていくようになった。(中略)ことばが実体を表わすものではないとする合理的精神(以下略)

になった。その前は言葉が実体を表はしたのだから、そのことを踏まへないと歌を理解できないことになる。
言霊は生き物の霊(たま)そのものと思ひ試しに読み始めよう
(終)

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