千八百四十五(うた) 地元の話題(整形外科、西友)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十月二日(月)
手が腫れたので、インターネットで整形外科またはリューマチ科を探した。近くにあったはずの福岡クリニックが閉院になってゐた。2020年11月28日のことだ。「諸般の事情、院長の年齢等により」とある。母を連れて二回行ったことがある。一回は膝痛の診察、一回は休診日に介護保険の認定だった。それまで主治医は福岡クリニックだった。
二階だったので、閉院したことに気付かなかった。一階に内科が新規開院した。跡に入ったのかと最初思ったが、2019年だから違った。二階へは別の入り口から上がれるやうになってゐた。閉院の理由は高齢ださうだ。
母がここに通院するやうになる前は、駅に近い医院に通った。そこは今でも診療してゐるが、インターネットによると子が継いだ。
私自身は、インターネットで調べて、医療ビルの整形外科で診察してもらった。
母過去に整形外科の通院二つ 閉院の医院は後に通院開始


十月四日(火)
西友南浦和店が二十五日に閉店する。前も閉店前の買ひ物をしたが、そのとき次回はカップ酒を買はうと思った。そして本日実行した。建物が小さいとも書いたが、これは平屋建てのため感じただけで、入ってみると奥行きも横幅も広い。
広さの割にレヂが二つしか開いてゐない。今回気付いたが、駐車場の台数が少ない。昔は、広い駐車場だと思ったが、時代が変はった。
西友に近い病院手術父 そのときここで買ひ物を 入院中に必要な物を部屋まで届けたは 二十余年も前の思ひ出

(反歌) あらたまの年の経過と西友の経過が残す薄い思ひ出

十月六日(木)
福岡クリニックが入居したのはどの部分かインターネットで調べたが、分からない。やっと閉院前の写真をインターネットで見つけた。東京信金二階部分の後方だ。入口は住居入口の左だ。一年ではあったが、整形外科、歯科、内科、薬局と医療ビルの様相を示した。かつては本屋も入居して、私のお気に入りだった。本屋は高齢で引退したと聞いた。
ここで、武蔵浦和には二つの医療ビルと、一つの自称医療ビルがある。自称医療ビルは医院が二つ入るだけでしかも同じ苗字だ。単に親子か兄弟で一つのビルを購入または建設しただけではないのか。
武蔵浦和に多い理由は、もともと住宅や商店などがある地域に駅ができたため、土地の価格上昇に建物が追ひ付かなかったのだらう。本来、ビルは業種を限らないほうが入居者を見つけやすい。しかし不動産価格が高い場所では、医療向けに建てたビルは入居時の工事費が少ないのだらう。

十月十日(月)
ビジネス旅館が廃業ののち、跡地は十区画ほどに分割され、それぞれ一戸建てになった。今から二ヶ月くらい前だらうか、まだ左側の一列が建築中のときに、この区画の裏側の一軒家が更地になり、売り出し中の縦旗が立った。この一軒家の隣二軒も今回の十区画ほどに含まれる。突然なので驚いたが、或は今まで周囲が駐車場などだったのにぎっしり家が建ち、引っ越したのかなと思った。
その売り出し中の更地が、一昨日辺りに二区画に分れた。土台予定場所に線が引かれたので、或いは買主が一社で分割して建て売りにするのかも知れない。周囲の家を見渡すと、建ぺい率がこの辺りは九割なのかも知れない。今まではゆったり建てたのだらう。
さう考へると、昔に比べて庭が狭いか無くなった家がほとんどだ。かつては大きな木がある家もたくさんあった。五十年前に引っ越したときは、郊外に来たと云ふ喜びがあった。今は、都内と変はらない。
郊外は庭あり木あり草がある蝉の鳴き声秋虫の声
(終)

追記十月十五日(土)
最近気づいたことは、ビジネス旅館の経営者が自宅を売却したのかも知れない。元の敷地が売れて、新しい転居先を購入し移転した。何とも言へない。

追記十月十八日(火)
福岡クリニックが開院当時の写真を見ると、住宅階出入口の左に出入口がある。ところが自転車で前を通ると、左の出入口がない。自転車を降りて調べた。左の出入口はコンクリート製の壁になり、あたかも以前からさうだった雰囲気だ。そして、住宅階出入口から横向きに階段下へ繋げた。二階は分割して住宅にするらしい。

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