千八百三十四(うた) 伝馬町訪問記
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
九月二十一日(水)
日本橋堀留町に行く用事があった。
日本橋堀留町の近辺はべったら市と富くじの碑が

昼休みに富くじに関係がある椙森神社に行った。伝馬町牢屋敷跡にも寄った。戻るときにたまたま歩いた宝田恵比寿神社はべったら市の中心だった。と云ふことで、近所にたくさんの名所があるが、これが普通である。全国どこの都市を歩いても、このやうなものがたくさんある。無いのは、明治以降の都市化で膨張した市街や新たにできた都市である。
日本橋伝馬町とは江戸時代牢屋敷あり 現在は小伝馬町と大伝馬二つの町が存在し 庶民の家も今はビル街

(反歌) 徳川の世に作られた街中は学び引き継ぐ遺跡が多い

九月二十二日(木)
昨日は帰るときに疲労感が強かった。駅前で何かの勧誘をしてゐて、勧誘員の言動から営利目的ではないか(或いは大学生のボランティア実績作り)と、懐疑的だった。あの活動は西洋主導だから、日本が巻き込まれる危惧もある。
昨日に限り、私に話しかけたひとが、「あれ」と驚いた声を出した。いつもは断るにしても一言あるいは仕草で表明するので、昨日は疲れて無反応だったのだらう。自分でも気づかなかった。疲れた理由は、六時間+昼休み一時間だった。昼休みは、あちこち巡るから休んだことにならない。昨年も六時間勤務はあったが、かうは疲れなかった。一歳分の加齢だらうか。
あと、管理員専任も理由だ。いつもは管理員と清掃を兼ねる。今回は清掃員がゐて、私は管理だけだった。再資源の段ボールを紐で縛るのと、ペットボトルを潰す作業はやったが。ここのマンションは、2LDKで家賃二十五万円、中古で購入だと一億円だらう。挨拶の反応がよく、上流階級の印象を受けた(昔の基準だと「中の上」だが、今は私自身が「中の上」だと勝手に思ふやうになったから、「上」になった)。だから私も、背筋を伸ばし対応し疲れた。
近くには 人形町や兜町 中央通り三越も 便利賑はひ下町と三つ揃ひて 三駅可能

(反歌) 一階が店で二階に居住するかつて下町今高級に(終)

追記九月二十七日(火)
前にメモ用紙に歌を三回作った(一回目二回目三回目)。四回目のうち、此処に関係する歌を、以下に記したい。
下町がマンションの街一階に店があるなら雰囲気残る
山の手がマンションの街一階に多くあるのが事務所コンビニ
下町にマンションとビル混ざる地区ほぼ弁当屋食堂飲み屋


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