千八百十七(和語のうた) 「名歌辞典」を再度読む
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
八月二十八日(日)
前回「名歌辞典」を読んだが、今回再度読むことにした。後の歌ほど等閑になるため、今回は五十音順の「せ」から始めた。三千余首が載るのに、「せ」は二つのみだ。そのうちの「瀬を早み岩に(以下略)」は有名な歌なので、私も佳い歌だと思ふ。
「そ」に入り、最初の
そこひなき淵やはさわぐ山川のあさき瀬にこそあだ波はたて

古今集、素性法師。これは思考の深い歌だ。その次の「袖濡るるこひぢとかつは知りながら(以下略)」は源氏物語。かう云ふ歌が多いと、生活の歌を、万葉集だ、と叫びたくなるのは分かる。
空はなほ霞みもやらず風さえて雪げに曇る春の夜の月

新古今集。「風さえて」「雪げに曇る」が美しい。「た」に入り
絶え絶えに里わく月の光かな時雨を送るよはのむら雲

新古今集、僧寂蓮。「絶え絶えに」「里わく月」「時雨を送る」「よはのむら雲」が美しい。
高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)たつ民のかまどはにぎはひにけり

新古今集、仁徳天皇。この歌は内容が素晴らしい。
高砂のをのへの桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ

「高砂のをのへの」「外山の霞」が美しい。
たがための錦なればか秋霧の佐保のやまべをたちかくすらむ

古今集。「たがための錦」「秋霧」が美しい。全体の流れも美しい。
高機(たかはた)をいはほに立てて天の日の影さへ織れるから錦かな

「高機をいはほに立てて」「影さへ織れる」が美しい。
私が歌に本格進出したときに、万葉集、古今集を全部ではないが読んだ。明治以降は異質なものとして読まなかった。その後、明治大正辺りまでは読むやうになったが、美しい歌の比率が極めて低い。その理由に、古今集とそれ以降を捨ててはいけない。明治大正を読むうちに、巻き込まれたやうだ。
徳川の後の歌には佳いものが少ない訳が一つ見つかる


八月二十九日(月)
昨日紹介した次の歌から異変が起こる。高円で始まる万葉集三首と、同じく高円で始まる桂園一枝の香川景樹の歌に、私は魅力を感じなかった。万葉の時代とは、美しさを感じる語彙が異なるためか。香川景樹は江戸時代後期だが「忍ばむやたれ」が美しくない。江戸時代後期はかう云ふ表現が美しかったのだらうか。
私が歌を口語で作るのは、今の人たちは文語を美しく感じないためだ。だから大正期に口語で歌を作った人たちと、私とでは、向かふ方向が逆である。
高御座(たかみくら)とばりかかげて橿原の宮の昔もしるき春かな

新葉和歌集、後村上天皇。「橿原の宮の昔も」が美しい。
万葉「滝の上の・・・」で、「雲の常にあらむ」が意味は美しいのに、語彙の時代差で表現が美しく感じないのは残念だ。
たぐへくる松の嵐やたゆむらむ尾上にかへるさを鹿の声

新古今。「たゆむらむ尾上にかへるさを鹿の声」が美しい。
万葉の「田子の浦ゆ・・・」はもちろん美しい。しかしそれは江戸時代末期からの万葉重視の流れの中だからで、それがなければ新古今の「田子の浦に・・・」の方が「白妙の」が「真白にぞ」より美しいと思ってしまふ。
直(ただ)に逢ふは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

情景が美しい。ただ語彙の時代差で、表現が美しいと感じることができないのが残念だ。
よろづはと今を隔てる年月は言葉の違ひ乗り越え難し

尋ね来て花に暮らせる木(こ)の間より待つとしもなき山の端の月

新古今。「花に暮らせる」「待つとしもなき」「山の端の月」が美しい。
谷川の流れは雨と聞こゆれどほかよりけなる有明の月

更級日記。「谷川の流れは雨と聞こゆれど」が美しい。
旅人の袖吹きかへす秋かぜに夕日さびしき山のかけはし

「旅人の袖吹きかへす秋かぜ」「夕日さびしき山のかけはし」が美しい。
玉かぎる夕さり来れば猟人(さつびと)の弓月(ゆつき)が嶽に霞たなびく

万葉。「夕さり来れば」「霞たなびく」が美しい。だが猟人が弓の枕詞でなければ選ばなかった。殺生の歌は避ける。

八月三十日(火)
このあと「た」はずっと後ろへ行き
たれ住みてあはれ知るらむ山里の雨降りすさむ夕暮れの空

新古今、僧西行。全体の光景が美しい。ここから「ち」に入る。「ちはやぶる神代も聞かず・・・」(古今)はあまりにも有名だ。「つ」に入り「月読の光を待ちて帰りませ・・・」(良寛歌集)はその二つ前「月読の光に来ませあしひきの・・・」(万葉)の本歌取りなので選ばず、両者の中間の
月よみの光を清み夕なぎに水手(かこ)の声呼び浦廻(み)漕ぐかも

万葉。声調が美しい。しかし年代差が単語の美しさを妨害する。「筒井筒ゐづつにかけし・・・」(伊勢物語)はあまりに有名だ。「て」は九首中一つも無し。「と」は、まづ「時知らぬ山は富士の嶺いつとてか・・・」(伊勢物語)は有名だ。
常世辺に住むべきものを剣刀(つるぎたち)己(な)が心から鈍(おぞ)やこの君

万葉。「常世辺に住むべきものを」と枕詞「剣刀」が美しい。「鈍や」は時代差を考へないと、醜く感じてしまふから要注意。
年のはにかくも見てしかみ吉野の清き河内のたぎつ白浪

万葉。全体の光景、特に云へば「たぎつ白浪」が美しい。しかし個々の単語を見て美しく感じないのは、時代差が大きい。子規一門に美しい歌が少ないのは、万葉を近代の眼で読み美しくないところを真似したためではないか。
となりには初島みえて七島(しちしま)は潮気(しほけ)にくもる伊豆の海ばら

東歌。「となりには初島みえて」「七島(しちしま)は潮気にくもる」が美しい。
遠くなり近くなるみの浜千鳥鳴く音に汐の満干をぞ知る

僧暁月。「近くなるみ」の掛詞、「鳴く音に汐の満干」の状況が美しい。
とまり舟苫のしづくの音絶えて夜半のしぐれぞ雪になりゆく

「とまり」「苫」の繰り返しと、「雪になりゆく」の状況が美しい。これで「と」が終了した。
千(ち)年をも超える月日に作られた歌を選べは佳きもの多し

今回は「あ」から「を」まで終了させる予定で、「せ」から入り一周して「す」に至るはずだった。ところが「と」で歌をたくさん選べた。近代の歌人だけに限ると如何に駄目かが分かった。(終)

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