千八百十四(うた) 今の時点で歌に思ふこと
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
八月二十七日(土)
今の時点で歌に思ふことをまとめてみた。月日が経つと考へが変はるので、途中の記録は重要だ。
一、普通の人が接する歌は、記紀の時代から明治辺りまでの名作だ。それに対し、若いころから結社に所属する人は、出来の悪い歌をたくさん見てきた。特に選者はさうだ。
すると出来の悪い歌に慣れる。自身もさう云ふ歌を作るやうになる(かどうかは不明だが、それと五十歩百歩の歌はあり得る)。私が子規や左千夫の歌で、よいと思ふのが5%程度なのはこれが原因ではないだらうか。
二、年月とともに人間は堕落する。これは十二年前から主張してきた。万葉集がよくて、古今集と新古今集は悪いとする根拠はここにあるかも知れない。
江戸時代末期から万葉集を重視するやうになったものの、万葉集派でも堕落は起きた。私が昭和以降の歌を読まない理由はここにあるかも知れない。
私が歌に本格進出したときに、万葉集、古今集を読んで、明治以降は読まなかった。それは明治以降が現代まで続くと考へた。万葉集と古今集を読んで口語の歌を作るのは、今思へばすごい組み合はせだ。
その後、明治初期に始まり、大正末期辺りまでは読むやうになった。
三、古今集、新古今集を捨てる事は、原理主義だ。どこがよくて、どこが悪いかをはっきりさせないと、与謝野晶子の流れや、昭和以降の流れになる。
子規の一門は、途中から破調が多くなる。道を間違へたか。観潮楼に参加したのが悪かったか。
徳川が終りて後は 歌作り大きく変はり 破れ歌破れ調べに破れた中味
八月二十八日(日)
私自身の歌作りで最近の話題は、枕詞が七月五日を最後に無くなった。猛暑日が続いて体がだるくなり、枕詞を使ふ余裕が無くなった。枕詞は、心身に余裕が無いと入れることができない。
疲労が重いと文章が作れない。少し軽いと文章は作れても定形にできない。更に軽いと定形にはできても枕詞を使へない。
明治から大正の歌しんしんと読むうち疲れ歌に響くか
最近茂吉全集など重い内容の本を続けて読んだため、心身が疲れた。
八月二十九日(月)
1774から続いた、「良寛、八一、みどり。その他和歌論」の一つ置きが、今回で途切れた。もともと一つ置きにしたのは「良寛、八一、みどり。その他和歌論」の比率が高い為、連続してリンクの複雑化を避けるためだった。
ところが1802『齋藤茂吉全集第二十卷から「伊藤左千夫概説」「伊藤左千夫の歌」』と1808『太田青丘「太田水穗と潮音の流れ」』は、書籍を読むのに時間が掛かるため、三つ連続で他のものが続いた。このときは作り始めたものを二回移動して連続を継続したが、その後も1810『齋藤茂吉全集第二十卷から「伊藤左千夫の歌論」』など時間が掛かるものが続いたため、今回で一つ置きを一旦終了させた。
文章を考へて入力することは、時間が掛からない。しかし書籍に書いてあることを引用すると、十倍近く時間が掛かる。書籍台を用意すればよいのだが、自宅ではその場所もない。(終)
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