千八百六(うた) 東京城東地区左千夫所縁の四ヶ所を訪問
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
八月十五日(月)
東京城東の左千夫所縁の四ヶ所を訪問した(経緯)。
一、まづは都営地下鉄新宿線大島駅近くの左千夫晩年転居の跡である。

  
左千夫晩年の移転先を記念する歌碑            歌碑拡大

歌碑には
           左千夫
朝起きてまだ飯前のしばらくを
小庭に出でて春の土踏む
大正二年七月三十日
伊藤左千夫この地に没す

     左千夫記念會


二、次はすぐ近くに城東高校の歌碑がある。この歌碑は尊い。教育は、身近なものを突破口に広げるべきだ。近くに左千夫終焉の地があるのだから、これを活用するのはよいことだ。

    
歌碑の由来                      歌碑                        全体

歌碑は
竪川に
牛飼ふ家や
楓萌え
木蓮花咲き
児牛遊べり
  左千夫作
    門人文明
    しるす


三、五の橋のバス停から二つ目が亀戸駅前だ。ここから少し歩くと普門院がある。左千夫の墓を見た。調査と写真を撮るだけで、合掌を忘れた。私が左千夫に肩入れするのは、近年の偏った歴史捏造を正すためで、左千夫の歌風や人間性を慕ふ訳ではないことが、判ってしまふ。

    
墓地入口の石碑                                               墓石


四、バスで錦糸町駅前まで行った。左千夫が引っ越す前の牧場兼自宅跡だ。今は錦糸町駅前広場の中央部分、公園の少し前だ。

    
歌碑                          説明版                       全体(説明版が半分しか写らなかったが)

歌碑には
よき日には
庭にゆさぶり
雨の日は
家とよもして
児等が遊ぶも
    左千夫

四ヶ所を巡った感想は
東京に左千夫四ヶ所 お勧めは城東高の正面を向かひ右側 竹型の塀の前には石碑あり 説明版と共に尊い

(反歌) 六丁目団地の時計下に歌碑歩き七分城東高へ(終)

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