千八百四(うた) (八一+牧水+水穂+左千夫)÷4
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
八月十三日(土)
茂吉の本を二回特集したが、これは1.歌と、2.左千夫・子規を分けただけで、最近茂吉に集中した訳ではない。
参考にすべきは「良寛、八一、みどり。その他和歌論」だが、今に繋がる人脈で云ふと、(八一+牧水+水穂+左千夫)÷4かなと思ふ。左千夫には、師匠の子規、弟子の茂吉、赤彦なども含まれる。

八月十四日(日)
茂吉の歌を読み、(八一+牧水+水穂+左千夫)の左千夫には、子規は含めても、茂吉は含めないほうがいいと思った。

八月十五日(月)
茂吉の書いた「伊藤左千夫の歌」を読み、やはり左千夫は茂吉を含む。私の考へが揺らいだ。
揺らぎの理由は、歌と歌論は異なる。左千夫と茂吉で云ふと、茂吉の書いた左千夫の歌論だと、左千夫と茂吉に差はない。だが左千夫と茂吉の歌を見ると、明らかに異なる。
これは、歌論に書いても、歌に反映するとは限らない。私が昔の人たちの歌を評しても、私の歌がそれに反映はしてゐないのと同じだ。
歌論と詠んだ歌とが異なるは論が理想で歌は現実


八月十六日(火)
歌を作るときは、まづ字数を合はせる。次に推敲を行ふ。ここまでを、歌論に従ひながら行ふ人はゐないだらう。他人の作った歌を見て、後から理論を書く。これが歌論ではないのか。
歌を見て他人が後に考察の歌論なれば詠むとは無縁


八月十七日(水)
良寛は、人物と歌の同調が美しい。八一は歌自体が美しいものの、清き水に魚住まずで印象に残らない。みどりは短い生涯に作った歌が少ない上に、私が佳いと思ふ歌は一時期に留まる。
子規、左千夫の歌で佳いと思ふのは5%で、その他の歌人は更に少ない。そんななかで、(八一+牧水+水穂+左千夫)÷4を考へた。しかし太田水穂は、あまり読んでゐない。そこで歌集と、人物を論じた本の、二冊を借りた。
読んでみて、前回と同じ感想だった。しかし(八一+牧水+水穂+左千夫)÷4に変更はない。空穂よりは水穂が近い。信綱よりは水穂が近い。
信綱と空穂を足して六で割るそれより今の四人最適


八月二十一日(日)
四人の中で左千夫を最後にしたのは、子規、茂吉、赤彦などを含むからだ。今まで、子規と茂吉が同一で万葉派、茂吉が近代派、赤彦は中間と考へてきた。しかし斎藤茂吉全集第二十巻から「伊藤左千夫概説」「伊藤左千夫の歌」により、左千夫の晩年である第五期後半と、茂吉は同じことが分かった。あと、子規を擬古に引っ張ったのは左千夫だとする説があるが、これは誤りだと思ってきたが、茂吉全集第二十巻により、私の考へが正しいことを再度確認した。
つまり、左千夫の晩年と茂吉は同じなので、左千夫に他を含める含めないに関はらず最後に回したことは正解だった。
明治期は四つの流れ現代の口語体でも伏流受ける
(終)

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