千七百六十四(和語のうた) 「若山牧水の歩み」を読んで
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
六月十八日(土)
宮本幹也「若山牧水の歩み」(昭和二十三年)を国会図書館デジタルで読んだ。この書籍は、潮みどりを調べるうちたまたま見つけた。「明治大正の歌壇」の章に、まづ子規について
生前の子規は比較的不遇であつた(中略)理由は簡単である。西洋的文学思想の支配的な時代に、地味な国粋的文学を唱導したからである。又、一世を蔽ふ明星的ロマンチシズムに対し、子規は写実を唱導した。即ちリアリストとして浪漫時代を往行したが故に不遇であつたのである。(中略)併し此処で注意しなければならない事は、子規は国粋的ではあつても国学ではなかつた事である。

これだと分かり難いので具体的には
西洋の眼を以て日本を見てゐたのである。ところが明星は西洋の眼を以て西洋を見てゐたのである。(中略)それ故に少しも早く日本の歌を破壊して西洋の詩に近づかうとする門弟が明星から現はれたのも当然である。石川啄木もその一人であり(以下略)

それに対して子規は
一首や一句の中に入り切れぬ程の材料を盛り込むところに(中略)美が生れると主張した。これは情を主とせず事を主とする散文家の態度であつて(中略)普遍的リアズムが彼の写生であつた(以下略)。
子規のこの実証的精神が後の「あららぎ」派門人に悪影響を与へて、所謂無味乾燥なる現実短歌なるものが発生した。伊藤左千夫や長塚節あたりまではそれでも子規の精神を間違はずに汲んでゐたが、子規があれ程までに言つてやまなかつた万葉を離れると共に斎藤茂吉以下いづれも多少の行き過ぎを犯してゐる。

ここまで100%同感である。さて
子規は写生を、左千夫は万葉調へ肉迫し(中略)歌人としては左千夫の方が一段高いところまで行つたのではないかと思はれる。

これも100%同感である。子規は評論家として優れる。
加茂真淵は(中略)つまり歌は内より発する本格的なるもの、散文は外界の写実であることを言つてゐるのである。

これも100%同感。次の章で牧水に入り
牧水の進んだ道は明星的新派短歌から万葉集への方向であつて、彼が明言してゐるやうにその他のものの影響は極めて僅少であつた。(中略)牧水と子規を比較する時、万葉と言ふ絶頂へ到達するために全く違つた出発点から登山を開始した二人の登山者の姿を思ひ起す。

これも同感である。
牧水のあゆみを読みて子規につき私と同じ意見に出会ふ

子規左千夫茂吉について私のやうに考へるのは私だけかと思ったが、宮本さんが同じ考へだった。惜しいことに宮本さんは平成五(1993)年に亡くなられた。大正二年上水内郡吉田村(現、長野市)で生まれる。昭和七年「青春街」でサンデー毎日新人賞。週刊朝日に「霧の中の獣心」「渋柿」を掲載、昭和十年日活撮影所脚本部員、昭和十五年国民文化建設同盟を結成し、昭和十六年『公論』編集長。戦後は大衆小説を書いたが、水上勉や藤沢周平と異なり「若山牧水の歩み」のやうな良作を執筆された。尤も宮本さんが大衆小説に進出したのは、「若山牧水の歩み」を出版した翌年だが。

六月十九日(日)
「牧水の歌」章に入り、ここでも子規に言及し
子規の「写実」は散文の方向に末流を走らせて歌を破壊し、牧水は(中略)抒情に終始した事が、彼が歌の破壊者となり得ずにすんだ原因であらう。

ここは少し意見が異なる。抒情で美しさが出せる場合と、出せない場合がある。宮本さんは五千首から各歌集を代表するものを三百首選歌した。まづ最初は歌集「海の声」で
われ歌をうたへり今日も故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ
白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ
春の空白鳥まへり嘴(はし)紅しついばみてみよ海のみどりを

ここまで三首連続で佳い歌である。次の「くちづけの(以下略)」「朝地霊(なゐ)す(以下略)」「酒の香の恋しき(以下略)」「(前略)君おもひ行く」の四首は佳いと思はない。抒情の宮本さんと、美しさの私の違ひか。次の
けふもまたこゝろの鐘をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く

は佳い歌だ。五割だから極めて高率だ。(次の頁にまだ十二首あったが、やはり五割くらいだらう)。後の歌集も同じくらいの比率だが「死か芸術か」の「しのびかに遊女の飼へる(以下略)」。私なら選ばないが、宮本さんが選歌したことを批判しようとは思はない。読む角度によっては、美しく無くも無い。ただし俵万智の解説は筋違ひも甚だしいので、二年前に批判したことがある。
次は問題の「みなかみ」「秋風の歌」「砂丘」で
父の死後、牧水は戸主としての立場から止むなく郷里に一年間を過した。(中略)牧水の歌はこの一年間が峠で、(中略)前期が主情的であるのに反して後期は叙景的であり大自然に参入してゐる。そしてこの峠の時期は牧水の混乱と苦悩を反映して観念的哲学的である。この時期に驚くべき破調の歌が生まれたのである。

その後
牧水の歌が明確に万葉調を帯びる様になつて行つたのは(中略)「みなかみ」を忘れなかつた牧水の精神の表れに外ならない。

「みなかみ」は普通の歌を十首選歌し、このうち六首は私も佳い歌だと思ふ。後半の「黒薔薇(破調十首)」は、歌ではなく詩である。
みなかみは歌を集めて綴じた名と 五つとせ後に水上の湯へ浸かりつつ旅を書き みなかみ町の名づけともなる

(反歌) みなかみは月夜野(つきよの)および水上の町が二つと新治(にいはる)の村
二町一村が合併したときに水上町にすることは一町一村が反対し、牧水の「みなかみ紀行」を持ち出して「みなかみ町」に決まった。上越新幹線の駅も複雑だ。開業したときは月夜野町に位置し「上毛高原駅」と仮称した。十年前に、新幹線を「みなかみ駅」、上越線を「水上温泉駅」と改名する案が出され、その後は一向に進まない。私の予想では新幹線が「みなかみ月夜野駅」で決着かな。
その次の「秋風の歌」は
大塚窪町に家を借り、一時信州へ帰してあつた妻子を呼んで初めて家庭らしい家庭を構へることになつた。

我が赤児ひた泣きに泣く地もそらもしら雲となり光るくもる日

など最初の六首は家庭の歌で、私も佳い歌だと思ふ。後半の五首は、うち二首が佳作だと思ふ。それ以外の
あさくさの曽我の家(や)五九郎のばかづらに見入りてなみだながすなりけり

はさすがに選べない。「曾我廼家五九郎」は字余りだし、「ばかづらに」は表現が悪い。「なみだながすなりけり」は推敲の余地があるものの、この三文字と一句があるので、まだこの歌は許容範囲だ。これが無いと「ばかづら」が目立ってしまふ。その次の「砂丘」は
喜志子夫人の病気に際し、三浦半島に転地した(中略)物蔭に隠れて疲れを休めてゐるといつた風な、弱い感傷から詠まれた歌が大部分を占めてゐる。

宮本さんの選歌は美しいものが多い。然し異変が起こる。悪い歌は一つもないのだが、ひねり過ぎたため、美しいと感じる歌がない。

六月二十日(月)
次の「朝の歌」「白梅集」「寂しき樹木」「渓谷集」の章では
「砂丘」は歌の性質がすつかり変つてゐる前の歌と違つて生気がある。(中略)この歌集あたりから牧水の詠風といふものがほゞ一定して来た。

「砂丘」ではなく「朝の歌」だ。なぜなら「砂丘」は前の章で既に取り上げたし、「朝の歌」が解説の後半無しになつてしまふ。歌の性質がすつかり変つたのは「砂丘」で、私も同意見だ。「朝の歌」で生気を取り戻したことも同感だが、「みなかみ」の前迄のやうな高い比率には戻らなかつた。
「白梅集」「さびしき樹木」「渓谷集」も同じだ。若々しさが無くなったと云へばよいか。牧水よりみどりの歌のほうがいいと感じたのは、これが原因か。

六月二十一日(火)
次の「くろ土」「山桜の歌」「黒松」の章では
牧水は「くろ土」の序文の中で次の様に書いてゐる。
「時を経るごとに多少ともの進歩は自分の上に表れて来てゐるかと(中略)さういふなかにあつて今度のこの「くろ土」には特にこの感じが強く動いた。

同じく
『海の声』の歌『路上』の歌、若しくは『みなかみ』の歌をいまの自分に作つて見よといはれても到底作り得ない(中略)が、どうしてもそれらは自分の全体ではなかつた。

さっそく「くろ土」を読んだ。確かに技巧があると云ふか、ひとひねりがある。次の「山桜の歌」に入る前に、再度「海の声」から読み直した。前回は『海の声』のあと「しのびかに遊女の飼へる」に触れただけで「砂丘」まで飛ぶが、途中の歌集に佳い歌が無いのでは絶対に無い。同じくらいの比率なので、歌集ごとに言及すると牧水の歌と宮本さんの選歌を批判するみたいなので、触れなかっただけだ。今回再度読み直した。
「独りうたへる」は孤独旅の歌詠み人の佳作が続く。「別離」は
山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅行く

が名作だ。人によっては素人風で嫌だと云ふ人もゐることだらう。「路上」は悲しさが無くなり普通の旅の歌の佳作が続く。「死か芸術か」は、寂しさが戻る。孤独旅の歌こそ、牧水愛好者が多い理由だ。
これまではすべてではない云ふ歌を読みて再びこれまでを読む


六月二十二日(水)
本日は再び「くろ土」へ戻った。
あららかにわが魂を打つごときこの夜の雨を聴けばなほ降る

「わが魂を打つごとき」「聴けばなほ降る」が美しい。
真さびしき筒鳥の声ひもすがらさまよふ谷に日は煙らへり

「真さびしき」「さまよふ谷に」「日は煙らへり」が美しい。
岩かげのわがそばに来てすわりたる犬のひとみに浪のうつれる

情景が美しい。
窓に見るながめあらはに冬錆てただありがたき日のひかりかな

これも情景が美しい。これらの歌以外もこの章は佳作が多い。
「山桜の歌」では
たまたまに出で来てわたる狩野川の水は張りたり雪解日和に

「水は張りたり」「雪解日和に」が美しい。
かそけまも影ぞ見えたる大空のひかりのなかに啼ける雲雀は

「かそけまも影ぞ見えたる」「ひかりのなかに」の組み合はせが美しい。
天つ日にひかりかぎろひこまやかに羽根ふるはせて啼く雲雀見ゆ

「こまやかに羽根ふるはせて啼く」が美しい。
牧水は旅の歌詠み誰もが思ふ くろ土は家や近くの歌を集める


六月二十三日(木)
最後の歌集「黒松」で、異変が起きる。佳いと思ふ歌が無い。牧水は健康が限界だったのではないか。或いは私とは別の観点があるのか。
もう一度「くろ土」「山桜の歌」「黒松」と読み直したが、結果は同じだった。
牧水の歌に隠れた好き嫌ひなぜ起きるのか訳を探ろう
(終)

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