千七百二十一(歌) 目的を目的としてはいけない
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
四月十八日(月)
大人の休日倶楽部パスで旅行する前に、「目的を目的としてはいけない」と云ふページを作らうと考へた。乗り物(特に鉄道)に乗ることを趣味とする人がゐる。
私は乗り物に乗ることが好きだが、そのことを目的にはしてゐない。行った先で見たり調べたりすることを目的とする。その手段として乗ることもまた楽しい。つまり目的(乗ることは楽しい)を目的(主目的)としてはいけない。
「大人の休日倶楽部パスで旅行する前に」と最初に書いたのは、旅行前にさう云ふページを作らうと思ったが、旅行の準備(日帰りだから所持品は無く、専ら調査)に忙しく、終了後になった。
乗り鉄がたくさんゐるが目的を別に作れば更に楽しい
乗り鉄は撮り鉄よりはまだよいか周りに対し迷惑かけぬ
乗り鉄はほかにも観たり調べたりすれば社会に貢献できる

行った先でこんなものを見つけた。それをFacebookに書くだけでも社会貢献となる。と同時に、さう云ふ気持ちを持つと周りに迷惑をかけなくなる。

四月十九日(火)
これは、人生でも同じだ。金儲けを目的にしてはいけない。生活するために必要な分は別だ。それ以外の分について、カネを目的に仕事をすると逆にカネが逃げる。
目的を目的とする経営や被雇用者では成功しない

或る会社では、店頭公開を目指したのに失敗した。そのあとは目的が無くなり、社長が社長に居座ることだけが目的になった。そのため膨大な人数が、辞めたり辞めさせられた。

四月二十日(水)
この話で思ひ出すのは、かつて存在した日本社会党は、社会主義を目指したり労働運動を進めることを目的とする人たちが議員になった。ところが昭和五十(1975)年代前半から、議員でゐることだけが目的の人たちが多くなった、と全国紙に書かれた。このころから労働組合はストライキをやらなくなった。
それでも連合が結成されたときは、総資本対総労働の完成版を目指した。山岸さんは社会党員としてさうだったし、その前の民間版の連合(全民労連)で藁科(こちらは呼び捨て)も社会党国会議員だったときまではさうだった。藁科は労働運動時代はそれほど悪くなかった。出身単産が悪く(特に沖電気事件が有名)、社会党から離脱後も悪かった。
かつての連合と、旧民主党の菅野田後の連合は、まったく別の組織だ。存在することが目的の連合は不要だ。または、大労組が不要だ、でもよい。(終)

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