千六百九十一(歌) 歌謡曲はなぜ衰退したか
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
ニ月十八日(金)
尾久駅構内の客車操車場を背伸びして見たことで、港町ブルースを引用した和歌を三つ作った。しかし港町ブルースの歌詞は、一部を除いて好きではない。中学生のときに流行したので、懐かしかっただけだ。
まともなのは「背のびして見る海峡を」「今日も汽笛が遠ざかる」「港函館通り雨」「出船入船別れ船」だけだ。あと「燃えて身を焼く桜島」は優れた表現だ。「ここは鹿児島旅路の果てか」は時代を感じさせる。沖縄返還の前だ。
旋律が美しいため隠される歌詞の退廃社会を破壊


ニ月二十日(日)
従来は歌謡曲と呼ばれたものの一部(或いは多く)が、昭和四十年代から演歌と呼ばれるやうになった。レコード会社の売り上げ第一主義が原因だ。このことが長期では、歌謡曲を衰退させた。思へば、私は演歌なる語を使ったことがない。
浪曲に代はり演歌が現れて衰退させた大衆歌謡

動画で、藤圭子と八代亜紀の港町ブルースを聴いてみた。最初に森進一を聞いたが十秒で切った。あの歌ひ方は我慢がならない。
藤圭子は、水商売女の歌で売り出したから、この曲を歌ふと調和し、嫌みがない。まさか西新宿で飛び降りるとは思はなかったし、飛び降りた路地の反対側に勤務先(昨年で再雇用終了)が移転するとは思はなかった。


ニ月二十二日(火)
西田佐知子の港町ブルースも聴いた。これが一番好い。歌そのものではなく、容姿や服装や髪形が。ここは重要なところで、着物や落ち着いた洋服と落ち着いた髪形だと歌謡曲、落ち着かない服装と髪形だと演歌とならないだらうか。
これだと多少の例外がある。前者だと歌謡曲、後者だとJ-POP。これだと例外なく当てはまらないか。
服装と名前髪形歌ひ方世代を分ける西洋度をも


ニ月二十四日(木)
J-POPは、プラザ合意による円高の後に出てきた。J-POP自体は、聴いてみると歌謡曲の範疇だ。しかし欧米の影響を大きく受ける。海外旅行に安く行けるやうになったためだ。

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海外に安く行けることくらいで、日本の流行歌が大きく変はってしまふなんて、よその国ではありえない。一つは演歌の一部に低俗な歌詞が表れたため、歌謡曲に魅力が無くなった。二つは敗戦後にマッカーサの洗脳が効きすぎて、拝米になってしまった。
トルーマンとマッカーサは、人類史上最悪の戦争犯罪者だ。長崎大虐殺と広島大虐殺を行った。だからと云って、そのことを根に持てと云ふのではない。復習しろと云ふのでもない。マッカーサの洗脳が効き過ぎた人が多いため、ここに言及した。(終)

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