千六百九十(和語の歌、普通の歌) 子規と左千夫を歌論から分析
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
ニ月十六日(水)
講談社の「子規全集第六巻 短歌歌会稿」(昭和五十二年発行)の解説に、次の内容があった(752頁)。
子規はたくさんの例をあげて、調べにもいろいろあることを説く。

これを訊きに行った秀真は
予等の調は千篇一律で只々すらりとした、悪くいふと口調のたるみ切つたのを以て、調がいゝとして居たので、勢のあるとか、引きしまつたとか、雄大なとか、たるんでゐるとか、ぎくゝゝ(原文は縦書きで二文字分の〱)してゐても、ぎくゝゝ(同)したなりに調子がとゝなふてゐるとか、いろゝゝ(同)ある事を今日初めて悟つた次第であつた。

これは貴重な話である。尤も本日現在、子規の歌を読み直したところ、私には一つの調しか鑑賞できなかった。
調には幾つもあると子規は云ふだが歌を読み今日は判らず


ニ月十八日(金)
調に幾つもあると云ふ前提で、子規の歌を読んでみた。なるほど前回選ばなかった歌で、今回優れると感じる歌が幾つもある。
喜び明治三十三年後半の歌を読み、前半の歌も読んだ。今回は、左千夫らが編集したのではなく、別の人の編集本を用ゐた。他の本と比較のためで、私自身は左千夫らが編集したものが一番優れると思ふ。
子規の調とは、歌の流れが素直なことではないか。これが今回の調査での第一期結論だった。子規は調を気にしなかった。これが第二期結論である。歌とは、散文を韻文にすることだ。元の散文がつまらない内容なら歌もつまらないし、散文が優れた内容なら歌も優れる。これが今回の調査での第三期結論となった。
音(ね)の数が文(ふみ)揃はずに歌揃ふどちらも中は善し悪し混ざる

散文の表現がすべて美しいことはなく、内容がすべて優れることもない。歌も同じだが、その一方で歌は常に、美しさと内容を求められる。
一つの方法は、選歌だ。別の方法は、歌を連作することだ。三つめは、私が推奨するように散文に埋め込むことだ。

ニ月二十日(日)
一般紙の短歌欄を初めて見た。昨日、内容が優れると書いたが、内容が美しいと言ひ換へたほうがよかった。子規や左千夫にも、内容が美しくない歌はある。これらは字数を合はせることに、美しさを見出した。そして選歌で選ばれないことを前提に詠んだ。
一般紙の短歌欄は、選者が悪い。私もこれまでに良寛、八一、子規、左千夫のどの歌を気に入ったか選歌した。これは、私がどの歌に美しさを感じるかを示すためで、私自身は口語で作るが、文語だったらどう云ふ傾向になるかを示す。
選者は、自分が選んだ歌に責任を持つべきだ。自分の評価に影響が無いと思ってはいけない。選ぶ歌が無いときは「該当無し」でもよい。
歌を詠む歌を選ぶのどちらにも調と中の好みを示す


ニ月二十六日(土)
角川書店の「日本近代文学大系 第44巻 伊藤左千夫・長塚節・島木赤彦集」(昭和四十七年)を読み始めた。伊藤左千夫について歌論から見た後、島木赤彦を調べやうと云ふ次第である。この本の選歌は本林勝夫さんで、左千夫について、選歌法は悪くない。私が過去に選歌したものが大きく抜けたにしても、である。
ところが五百十ページの書籍の、最初の四十ページに解説なる蛇足があり、左千夫について偏向がひどい。この部分は本林さんとは別の男の執筆で、一番ひどいのは
歌会に加わりはじめたころの左千夫の印象はその近眼と、二重にかけた眼鏡とともに魯鈍に見え(中略)子規周囲の俊英の中では異分子のようにも思われたが、やがてその情熱と子規への傾倒の激しさは、年長者である理由とともに彼をしだいに歌会の中心者としていった。

歌論として偏向がひどいのは
子規の指摘した万葉調への偏愛は左千夫の他にも子規周辺において著しく、「君等は、今しきりに万葉を見て、しきりと万葉の詞ばかりを使ってゐればそれでいいと思つてゐる。---それではまるで泥棒だ。泥棒はしたくない」などと言わしめている。この偏愛による作品の形骸化は、子規死後間もなく彼らの作品に始まる。

私は、子規と左千夫に作風の差は無いとみる。そして左千夫の、子規死後の作風にも変化はないとみる。子規にも万葉調の歌があるからだ。
但し、左千夫の度合いが過ぎるやうになったことはある。万葉集の気に入った表現を真似すれば、美しい表現にはなる。しかしそれだけだと盗作だ。美しい表現を自分のものとした後に使ひこなさないといけない。あと読者が分かるものに作らないといけない。つまり子規の泥棒発言は正しいが、その奥まで読まなくてはいけない。それなのにこの本の解説はさらに
「釜の響」と題する、子規の死の後の追憶の一連であり、切々とした感情をつたえてはいるが、一面、子規の眼から解き放たれたのちに再びこのような茶の湯趣味ないしはそれに類する独善的観念先行の作品が目立ち出す。

歌の中で、佳き歌は一部だ。だから選歌をされても誰も文句は云はない。子規の歌にも、これは駄作だ、と思はれる歌が幾つもある。それでも、散文を提携にすることが歌の一つ目の美しさだから許される。この解説を書いた人は家人を自称するが、そのことが分からないらしい。
以上、角川書店ともあらうものが五十年前の事だが、こんな解説を載せたとは驚く。
解説は読者の知らぬ内容で必要となる事を書くべき
偏向の記事は要らない書かせない見ない読まない信用しない


ニ月二十七日(日)
この書籍で左千夫の歌は、調べの佳いものがほとんどだ。しかも万葉調が過ぎて現代人に分かり難いものは一つもない。本林勝夫さんと私は、歌への感性が同じなのだらう。但しこれは、悪いものを除くことの感性であって、特に佳いものを選ぶ感性ではない。私が特に佳いと思ったもので選歌されなかったものも多い。
野菊の墓は、小学生のときに読んで以来だが、最初と最後を読み、及第で分かりやすい文体に感心した。一部しか読まなかったのは、私は長いものより短いものを好むためで、野菊の墓が優れないと云ふことは絶対にない。及第と書いたのは、左千夫の小説は文章が悪いと云ふ主張を最近読んだためだった。左千夫は、子規とともに旧派を批判したため旧派から批判され、万葉調も使ふことがある子規とともに最後の歌人のため近代派からも批判されるやうだ。
野菊の墓は、昭和三十(1955)年に映画「野菊の如き君なりき」(監督、木下恵介)が制作された。昭和四十一(1966)年にも映画「野菊の如き君なりき」(監督、富本壮吉)、昭和五十六(1981)年には映画「野菊の墓」(監督、澤井信一郎)が制作された。三回映画化されるだけの名作である。
江戸川に矢切りの渡し此の辺り野菊の墓の里で知られる
はやり歌矢切りの渡し名を広め岸の向かうは寅さんの里
(終)

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