百六十九、二つのメーデー


平成二十三年
五月一日(日)「十二年ぶりの全労協メーデー」
昨年に続き今年も連合と全労協のメーデーに参加した。昨年は連合メーデーに組織参加、全労協メーデーには個人参加だつた。しかしその二ヶ月後に私の所属する労働組合が分裂したため今年は連合メーデーに個人参加、全労協メーデーには組織参加となつた。
全労協のメーデーに組織参加するのは十二年ぶりである。集会後のデモ行進にも参加した。

五月二日(月)「連合結成以来始めて見せた正常な労組の姿」
連合のメーデーは「東日本大震災救援大集会」と銘打ち今年は質素なものだつた。従来はサツカー場に大型の特設舞台を設営し多数の来賓を招き、動員した多数の組合員がサツカー場をぎつしりと埋めた。今年は動因を掛けずサツカー場は閉鎖し野外ステージで小さく開いた。浮いた予算は義援金に回すそうだ。昭和六四年に連合が結成されて初めて労組らしい正常な姿に戻つたと言へる。
連合が結成された当時は自民党長期政権の真つ只中で、連合の結成が政権交代に繋がるといふ期待はあつた。しかし当時は大手労組の隠しベースアツプが問題になつてゐて、そのようなエゴイスト労組を集めても行き着く先は見へてゐた。三%の消費税が実施されたのもこの年である。

五月三日(火)「電機連合と電力総連」
実は質素にせざるを得ない事情がある。連合の会長は電機連合、事務局長は東電労組の出身である。電機連合の最有力組合は日立と東芝だが福島第一原発の二号機と三号機は東芝、四号機は日立である。連合東京の会長も東電労組である。
電機連合といふと嫌な思ひ出が三つある。まず三十年前に沖電気に指名解雇事件があつた。あのとき沖電気労組と電機労連(現、電機連合)は解雇者を見捨てた。自分たちだけ会社に残れればよいといふ実に醜悪な態度だつた。二つ目は私が富士通労組にゐたときである。当時は富士通労組の藁科が電機労連委員長だつたが富士通労組は「隠しベアや隠し手当がこれだけある。他の電機の組合には内緒だ」といふ話ばかりが多かつた。あのときは電機労連の竪山が連合(全民労連)の初代会長でもあつた。
三つ目は今の会社に入つてからだから電機連合には関係ない。しかし取引先が電機連合である。商談に立ち会つてくれといふので派遣ではないと確約を得た上で日立の子会社に行つた。
「これから大手製薬会社に行つて面接を受けてもらいます。日立の人間といふことにして自分の会社名は出さないでください。」といふので「多重派遣と事前面接は違法ではないですか」と質問すると「帰つてください」と言はれた。その前にうちの営業が名刺交換したので隣にゐた私も名刺を出したところまつたく無視した。日立では派遣要員は人間扱ひをしないらしい。
これが電機連合の実態である。

五月五日(木)「普通の労組に」
今年だけ質素なメーデーではいけない。これが正常な姿だ。毎年このようにすべきだ。東電の雇用については、一度リストラやボーナス0円を体験するとよい。中小企業は何の落度がなくてもリーマンショックや大手の下請け切捨ての波をもろに受けて嫌がらせ退職やボーナス0円やボーナス3万円などがここ数年繰り返されてゐる。
東電労働者はまず大幅リストラとボーナス0円を経験し、次に連合全体で労働者全体の利益のためにはどうしたらよいか対策を考へようではないか。連合が正常な労組に戻るよい機会だ。

五月六日(金)「小沢元代表と鳩山前首相」
今年のメーデーは政治家が誰も来なかつた。もし菅直人が来たら野次や冷たい視線で大変な騒ぎとなつたであろう。
三年前までは民主党から小沢代表が出席した。会場から「小沢さーん」と声が掛かり、小沢氏もにこにこ手を振り、皆が小沢氏に期待してゐた。一昨年は西松建設事件で小沢氏は欠席し副幹事長が代理で出席した。小沢氏が代表を辞任したのはその二週間後である。
その後民主党の大躍進があつた。そして昨年のメーデーは鳩山首相と福島大臣が出席した。やつと我々の政権ができたといふ感激が会場に満ちてゐた。
しかしこの一ヵ月後に社民党は政権を離脱し、鳩山首相も辞任する。そして民主党ではあるが菅直人といふ国民とは無縁な首相になることだけが目的の男が出現することになる。

五月七日(土)「全労協のメーデー」
一方の日比谷公園で開催された全労協のメーデーで批判すべきは壇上中央に掲げられた「HIBIYA 82nd MAY DAY」である。82ndは何と読めばよいのか。ほとんどの日本人が「はちじゅうにエヌディー」と読むだろう。「エイティツーンド」と読む人もゐるかも知れない。船橋洋一ではあるまいし英語帝国主義に染まつてはいけない。
第二次世界大戦は決して文明戦争ではない。経済戦争である。帝国主義どうしの植民地といふ名の市場奪ひ合い戦争である。それなのに戦後の偏向教育によつて日本のものは間違つてゐて西洋のものが正しいといふ帝国主義史観に陥つた人が多い。

五月八日(日)「文明戦争」
あの当時は世界のほとんどが西洋の植民地だつた。アジアで独立国は日本、中国、タイだけだつた。それなのに英米は正しいと叫ぶのは帝国主義者以外あり得ない。

ハンチントンは文明戦争と言つてゐるが嘘もはなはだしい。アジアやイスラムが西洋を文化侵略したか。一方で西洋は今でもアジアやイスラムを文化侵略しようとしてゐる。西洋が文化侵略を止めればこの問題は解決する。

五月九日(月)「全労協の問題点」
全労協メーデーの二番目の問題点は民間がほとんどゐない。都職労、区職労、都高教が多く、民間は国労、郵政、一般。このうち国労、郵政は純民間とは言へないから本当の民間は一般だけだ。
これは連合にも言へる。会長は福島原発に納入した日立と東芝が最有力の電機連合、事務局長は東電労組、東京会長も東電労組。
電機はかつては日立と東芝が交互に委員長を出した。その後コンピュータの比重が高くなり富士通の藁科や今はパナソニックだが、コンピュータは多重請負で大手メーカーは景気の波を受けない。
つまり日本の労働運動は景気の波を受けないところしか出来ない。これでは労働運動ではない。とはいへ今回全労協のメーデーに組織参加したのはよかつた。一般労組は少数で闘争してゐる。そういふ人たちが結集して元気が出たことであろう。

五月十一日(水)「民族派執行委員との再会」
分裂前の組合で民族派を名乗る執行委員がいた。外資系に勤めるいいやつだつた。書記長がしよつちゅうどなるので組合を脱退はしたが同居する別の組合で応援の執行委員を兼任してゐたのでこちらは継続した。その同居する組合が今回は全労協のメーデーにも来た。久しぶりに民族派執行委員と再会した。
メーデーには社民党の福島みずほ代表も来賓で来られた。鳩山政権のときは与党だつたので社会文化会館の前に警備の警察官が付いた。与党を離脱した途端、警察官はいなくなつた。私の所属する組合で一昨年、大会の会場がなかなかみつからなかつた。私が「社会文化会館はどうですか」と提案したが、高いから他を探そうといふことになつた。次に社民党の再生を考へてみよう。

五月十二日(木)「共産党と統一候補を」
かつての社会党は社共共闘か社公民共闘かで党内が分裂状態だった。社公民派が民主党に行つたのだから社共共闘を復活させるべきだ。小さな組織が縮小再生産を繰り返しそれでゐて自分たちの食い扶持は確保する。これほど楽な経営はない。しかしそれでは政党の役割を果たせない。
まずは社共共闘を復活させる。かつての革新系知事、市長全員の写真を前面に「帰つてきた社共共闘」を唱へる。これしか社民党の再生の方法はない。
長期の党名は後で考へるとして取り合えず村山路線と決別するために社民党を日本社会党に戻すべきだ。

五月十三日(金)「偽善と決別を」
先月の地方選で見た民主党のポスターに「地域のことは地域で決める」と書いてあつた。偽善の臭ひのする実に嫌な表現である。
地域の実情に合わないことを中央集権に押し付けられるとしよう。そのときは「地域のことは地域で決める」とこゑをあげるべきだ。しかし今、地域の実情に合わないのは沖縄だけだ。基地問題は今や国際問題でも軍事問題でもなく純粋に生活問題だから地域で決めるべきだ。
基地がなくなつても国際紛争は起きない。アメリカがごねるだけだ。
首都圏で東北大震災の直後に「地域のことは地域で決める」といふ。偽善以外の何物でもない。自由や民主主義を叫ぶのも同じだ。今の日本に不自由や独裁があるか。社民党にもこのような偽善性が潜む。

五月十四日(土)「制度の堕落との闘ひ」
ベトナムの国会が政府首脳の人事案を否決したことがあつた。国会が正常に機能してゐる証拠だが、いずれ共産党首脳の役職争ひは国会が舞台になろう。つまり今回は民主主義の勝利だが将来、役得や権力を狙ふ人は国会に根回しをするといふことである。
これはベトナムが堕落したといふことではない。始めて人事を否決した国会は賞賛に値するが将来は根回しの舞台となろうと予想するだけである。
そのように考へると日本の国会は明治時代から堕落に堕落を重ねた。つまり日本の民主主義は既に堕落してゐる。それなのに民主主義を前面に出してはいけない。

五月十五日(日)「真の民主主義を追求」
選挙を行つただけでは民主主義は達成できない。投票者は私心なく国の運営に責任を持つといふ誓約書を出すべきだ。だから法律を改定して業界団体や労働組合や宗教団体の推薦した候補に投票した人は民主主義破壊罪で重罪に処すべきだ。
新聞の偏向もひどい。アメリカCIAもアメリカ大使館員といふ肩書きで工作がひどい。これらを社民党は主張しデモを行い講演演説座り込みその他あらゆる合法活動を行ふべきだ。これしか社民党復活の道はない。

五月十六日(月)「なぜ団体が推薦してはいけないか」
日本では団体の役職に付くや地位を保とうと考へ始める人が多い。江戸時代の腐敗と明治維新後の西洋猿真似の結果、身分と役職の調和が崩れたためだ。そのような団体が推薦しても堕落した候補しか推薦できない。組織内候補は特に酷い。
そもそも民主主義は国民一人ひとりが責任を負ふことだから団体の推薦に従つたり自分の有利になる政策の候補に投票することは民主主義に反する。民欲主義とでも呼ぶべきであろう。

五月十七日(火)「日本社会党の先輩たちの過ち」
最終的に議員は町内会やPTAと同じく無給にすべきだ。そうしないと上昇志向の強い人間に占領されてしまふ。今から主張を始めるとしてそこに至るには20年を掛けるべきだ。現在の議員の人たちの生活を考へてのことである。
かつての日本社会党の目指したものはそのようなものではなかつたのか。しかし米ソの対立に巻き込まれてプロレタリア独裁や西洋式議会を主張し合い左右に分裂した。日比谷メーデーに参加した労働組合と政党こそそのような真の民主主義を目指すべきである。(完)

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