百七十、東電を倒産またはそれに準じた扱ひにしなければいけない理由


平成二十三年
五月十八日(水)「普通の経済活動」
東電は解体しなければいけない。それは普通の経済活動だからである。街の書籍店が閉店した。コンビニが閉店した。どれも普通の経済活動である。それなのにあれだけの大事故を起こした東京電力がそのまま存続しては普通の経済活動ではなくなる。東電を解体するのは懲罰ではない。普通の経済活動である。

五月十九日(木)「与謝野馨」
経済財政担当相の与謝野はとんでもない男だ。東京電力の責任を免除すべきだと閣議で主張した。東北大震災は巨大な天災地変だが、異常に巨大な天災地変ではない。
与謝野はたちあがれ日本に所属してゐたのに一本釣りされた。そして大臣になつた。あのときの野党側の反発は凄かつた。当時の新聞や週刊誌をもう一度読み返してみよ。そんな無節操な男だからこういふ発言をするのであろう。

五月二十日(金)「金融機関の悪あがき」
東電が倒産すれば金融機関の融資は不良債権となる。これがあるべき姿だ。しかし倒産させ停電になると困るからいろいろな方法を政府は考へてゐるのではないか。
金融機関の融資は東電が倒産しようとしまいと不良債権である。融資先の原発リスクを読まなかったのだから当然だ。

五月二十一日(土)その一「神様の仕業発言」
与謝野氏が記者会見で今回の事故を、神様の仕業だから東電の責任ではない、と述べた。まず今回の事故を天罰とする点で私と与謝野氏は同意見である。地震と津波は天罰ではない。原発事故は化石燃料を燃やし核分裂を行つた人類への創造主の警告である。
天罰であるなら受けた者が責任を負ふべきだ。周りが負担しては創造主の意思に反しよう。二番目に皆が負担すべきだといふのなら人類が負担すべきだ。日本政府が負担するのは道理に合わない。与謝野氏は世界各国、特に原発を生んだ西洋文明の各国が負担するよう世界を説得できるか。
西洋各国に言つても、福島原発は設計と緊急対応のミスだと突つぱねられよう。西洋の原発は内陸部に作る。だから津波対策がない。それをそのまま真似をして海岸に作りしかも緊急時の対策マニユアルまで猿真似であろう。だから炉心溶融に至つた。

五月二十一日(土)その二「新自由主義とグローバリズムの撲滅を」
本日から与謝野氏と敬称をつけるようになつた。批判も相当控へ目になつた。これは与謝野氏がカトリツクだと判つたためである。
地球を滅亡から救ふには仏教、儒教道教、ヒンドゥー、カトリツク、正教会、イスラム、アジア共産主義の連帯で新自由主義とグローバリズムを撲滅するしかない。
カトリツクにもいろいろある。日本国内に合つたカトリツクは大歓迎である。大航海時代にカトリツクは堕落してゐた。だからアメリカ先住民を滅ぼしたが、その後自己改革した。プロテスタントは味方か敵か今後の動きをみなくてはならない。アジア共産主義だけが唯一の非伝統勢力だが民族独立を掲げてゐるから味方である。

五月二十四日(火)「善意に頼らないとどうなるか」
その与謝野がまたつまらないことを言つた。金融機関の善意や良識に頼るのは甘いといふのだ。善意や良識に頼らないのは新自由主義である。与謝野が唯物論と判つた以上、呼び捨てに戻した。伝統経済に於いては善意や良識が経済の平衡を保つ役割を果たして来た。戦後の日本も同様である。しかしもし政府の行政指導を拒否する企業があれば裁判では企業が勝訴するから砂上の楼閣だつたとも言へる。
もし与謝野のいふように善意や良識に頼らないとすると、東電は倒産させるしかない。
金融機関の債権は紙くずとなる。東電の企業年金は積み立て額をすべて東電に短期融資させ不良債権とすべきだ。東電の設備は切り売りすれば高く売れよう。それで保障に当てるべきだ。与謝野の主張に従ふとこのようになる。

五月二十五日(水)「加害者と被害者を意図的に混同」
先日述べたように欧米では原発は内陸部に作る。日本では沿岸に作る。それなのに東電はアメリカと百%同じ原発を建設した。非常時のマニユアルも同一であろう。だから地震発生後に津波予測をせず緊急冷却装置を手動で止めた。そして炉心溶融に至つた。
東電は加害者である。しかし今後は津波の被害者であるかのようなマスコミの偏向した報道が出てくるだろうから国民は十分に気を付けたほうがよい。

五月二十七日(金)「新聞より雑誌を読もう」
日本の大手新聞はアメリカ大使館員を名乗るCIAや、日本の官邸機密費、更には政財官の癒着で公正な報道は期待できない。だからAERAや週間文春などの雑誌を読んだほうがよい。これらの雑誌はCIAや官邸機密費の工作がそれほど及んではいないし、大手新聞社と異なり景気の波を受ける。つまり庶民の視線で記事を書いてゐる。
国民は雑誌をもつと読むべきだ。

五月二十九日(日)「日本経団連を解体させよう」
楽天の三木谷社長が日本経団連からの脱退を示唆した。「電力業界を保護しようとする態度がゆるせない」と語つた。関西経済連の会長に森関西電力会長が就任したことについても「なんで関経連のトップが関電なのか、このタイミングで」と批判した。まつたく同感である。これが大多数の国民の声であろう。

六月四日(土)「普通の経済活動(その二)」
五月十八日にも書いたが、普通の会社は経済の変動や業界の変化で倒産したり解散したりもする。東電は原子力発電といふ地震国では危険なものを津波の対策を考慮せずアメリカの設計のままで建設した。後から建設した原発は対策が取られたが福島第一は取つてゐなかつた。
それに対し何で与謝野や経団連みたいに政府が保証しろと叫ぶ人間が出てくるのか。与謝野に至つては神様の仕業だから東電の責任ではないと筋違ひなことまで言つた。
東電の労働者は真面目に働いてきた。失業することは避けるべきだ。一方で民間企業は労働者に何の責任がなくても特にリーマンショック以降はまともにボーナスさへ出ないところが多い。といふか多くはないが私の勤めている業界がそうなのかな。
世間を見てみよう。失業者は多い。東電の労働者もこれら世間の労働者と同一に救つて行こうといふのであれば賛成である。(完)

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