千六百八十八(和語の歌) 左千夫の佳き歌を選ぶ(閲覧注意、歌論濃厚)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
ニ月十一日(金)
現代日本文學全集11で、左千夫の短歌は明治三十三年から始まる。この年の正月から、左千夫は根岸短歌会に出席するやうになった。先頭の
牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる
これは有名過ぎて、誰もが選ぶ。万葉風に簡単な内容を詠ひ、しかし「牛飼が歌よむ時に」「新しき歌大いにおこる」の表現が力強く、そのことが美しい。
農家の三男に生まれ、書き置きを残して家を飛び出し牛飼ひで生計を立て、歌と小説の創作活動を行った。その行動力と文芸才能は天才だ。
葺きかへし藁の軒端の鍬鎌にしめ縄かけて年ほぎにけり
「葺きかへし」が「藁の軒端」を有効に形容し美しく、「しめ縄」「年ほぎ」が同義語で美しい。
青疊八重の潮路を越えくれば遠つ陸山(くがやま)はな咲ける見ゆ
「青疊八重の潮路を越えくれば」までは、表現も写生も美しい。後半は凡庸だが、前半が美しいのでそれを補って余りある。
天つ風いたくし吹けば海人の子が網曳(あび)く浦わに花ちりみだる
「天つ風」「花ちりみだる」が凡庸なのを「網曳(あび)く」の美しい表現で補った。「浦わ」も美しい表現のはずだが、古語を無理に使って美しさを出さうとしたやうで、逆効果かな。つまり「海人の子が網曳く」だけで、一気に欠点を補った。
つがの木のしみ立つ岩をいめぐりて二尾に落つる滝つ白波
「しみ立つ岩」「二尾に落つる」「滝つ白波」は表現が美しく、写生も美しい。
牛飼ひが力の強き歌を詠むよろず葉に伏す水を表に
明治三十四年は
池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる
前もこの歌は扱った。今回白紙状態から考察すると、「濁りににごり」が「雨ふりしきる」により、表現も写生も美しくなる。
雨ふれば人も見に来ず藤なみの花のながふさいたづらに咲く
「いたづらに咲く」により、それ以前のすべての句が活きる。その逆転が美しい。この一首は俳句風に見るとよい。
夕汐の満ちくるなべにあやめ咲く池の板橋水つかむとす
「夕汐の」「満ちくるなべに」「あやめ咲く」「池の板橋」と美しい語が「水つかむとす」で解決するところが美しい。
よろず葉の伏した流れが今外に川の板橋水すれすれに
ニ月十ニ日(土)
明治三十五年は
ひた青にしげき木(こ)の間を燈火(ともしび)のかがよふ如き朱(あけ)の群玉(むらたま)
「ひた青」「しげき木の間」「朱の群玉」の表現と写生の両方が美しい。「ひた青」は、古典に親しまないと語彙に入らないから、現代人は苦しい。明治維新以降、文語対口語、古典対近代文があり、語彙がどんどん変動した。
朝月の四つ目垣根の裏戸辺にほのぼの咲けり山たづの花
「朝月」「四つ目垣根」「裏戸辺」が表現、写生ともに美しい。四つ目垣は辞書に有るが、四つ目垣根は無い。裏戸辺も無い。左千夫の創作ならすばらしい。多くの人が知る古語を用ゐるのはよいことだが、物知り顔で難しい古語を使ふのは逆効果だ。
それよりは、左千夫のやうに創作することが尊い。
真玉つく雄島松むら雨を浴みゆふ日もさすか松の千露(ちつゆ)に
「浴み」は古語でも、物知り顔とは異なり、美しい表現だ。「千露」も美しい。
明治三十六年は
さぎり立つ岡田の里は朝鳴きに松雀(まつめ)しば鳴く家の忌森に
前にも触れたが「さぎり立つ」「朝鳴」「忌森」に美しさを感じたと書いた。
明治三十七年は、古語の多い歌は選びがちなのを押し留めて、先へ進み
夕日さし虹も立ちぬと舟出せばまた時雨くる諏訪の湖
体験した自然現象が美しい。
明治三十八年は
青葉さす槐の枝に身をかくり声は鳴けども見えぬ葭切(よしきり)
「かくり」と万葉を真似るのではなく「かくし」のほうがよくないか。「青葉さす槐の枝」は工夫が美しい。枝に身を隠すのではないのに、「青葉さす」が働いた。「声は鳴けども」は、今の感覚では文章が変だが、声から判断すると鳴けども、と矛盾はない。矛盾がないところが美しい。
ニ月十三日(日)
明治三十九年は、美しいが問題ありの三首が、まづ御嶽仙娥滝に連続する。
色深み青ぎる滝壺つくづくと立ちて吾が見る波のゆらぎを
「青ぎる滝壺」は「あ」を含むから破調ではないが、推敲で七文字に収められないか。「吾が見る」の「吾が」は無駄な表現だ。「波のゆらぎを」は表現と写生が美しい。
むらさきに黒み苔むす大巌のまほらを断ちてとよもす滝つ瀬
「まほら」は大袈裟ではないだらうか。「とよもす」で思ひ出すことがある。戦時中の歌謡「燃ゆる大空」の歌詞二番に「機翼どよもす 嵐だ雨だ」とある。「どよもす」は一般に使はれた単語なのだらう。数十年で使はれなくなった。
「とよもす滝つ瀬」は「あ、い、う、お」を含まない字余りだから、破調だ。つまり左千夫は「あ、い、う、お」を考慮せず字余りをしてきた。それなら尚のこと、字余りは解消すべきだ。
「黒み苔むす」「大巌」は選語が美しい。ただし「むらさきに」が前に着くことで「黒み」と冗長になる。「黒み」は用言だから構はないとする見方もできるが。
あかねさす樺に匂へるそこ岩に映ゆる青波見れど飽かずも
「そこ岩」「映ゆる青波」「見れど飽かず」が美しいものの、最後の「も」で帳消しになった。「匂へる」は古典調なので、美しいものに選ばなくなった。
蓼科遊草は四章から成り、第一章の四首は一見美しい。しかしよく鑑賞すると問題がある。
奈良井川さやに霧立ち遠山の乗鞍山は雲おへるかも
「霧立ち」と「遠山の」が美しいものの「雲おへるかも」が難点だ。「雲を背に負ふ」が佳いのでは。
菅の根の長野に一夜湯のくしき浅間山辺に二夜寝にけり
まづ、どこが「湯のくしき」なのか不明だ。次に、長野市に一拍、浅間山辺に二泊なのに、長野に枕詞を付けるのは釣り合ひが悪く、字数合はせに見える。
私は、祖母の実家が山辺、母の実家が松本市内から浅間に引っ越したから、それだけの理由で「浅間山辺」のあるこの歌を選んだ。
みすず刈る南信濃の湯の原は野辺の小路に韮の花咲く
これは景色が美しい。「湯の原」の地名も美しい。「野辺の小路」も美しい。
夕されば河鹿(かじか)鳴くとふすすき川旅のいそぎに昼見つるかも
「昼見つるかも」で、カジカガエルの美しい鳴き声が台無しになった。まだ「昼に聴こえず」がよい。
川と海二つの鰍(カジカ)蛙にも河鹿(カジカ)がありて美しく鳴く
第二章、三章を通過して第四章の
信濃には湯はさはなれど久かたの月読のごと澄める此湯や
「月読のごと」が難点だ。まづ月読が月の光だと判らないと、意味が通じない。今は万葉の時代とは異なる。次に私は「ごと」が嫌ひだ。今は、如く、如し、と使ふのだから「ごと」は語感が悪い。(1)万葉の表現で、(2)今でも美しく感じて、(3)判りやすいものを使ふのがよい。このうち(3)は無くてもよい。現代人の不勉強が原因なのだから。
「月の如くに」或いは「月の光と」に変へたらどうだらうか。子規が亡くなって四年目。土屋文明の「左千夫の歌調は(中略)子規の近代的な文学感によつて、ひどい擬古に陥るのを救はれてゐたのかもしれない。」は正しかった。それにも関はらず私が万葉を重視するのは、字余りの問題がある。
ニ月十三日(日)その二
明治四十年は、万葉とは反対の歌が多くなる。前回は旅行で心がいつもと異なったのかも知れない。土屋文明の主張が余計なことに思へてくる。詞書に斎藤茂吉、柿の村人が登場する。字余りが多くなったためか、最初は一首も見つからなかった。読み返して
夏山のみどりの繁りうららかに鳴くは松雀(まつめ)か谷遠(たにとほ)にして
谷遠は辞書で調べても出て来ない。左千夫の創作なら喜ばしいが、あまり美しくない。
明治四十一年は、私にとり佳いと思ふ歌が無い。(1)字余りが目立つ。(2)漢語を使ったにしては表現と内容に進展の無いものも目立つ。つまり漢語を使ふなら、和語だけに比べて進展が無いといけない。(3)題材が悪いものが多い。
明治四十ニ年も、前半は明治四十一年と同じだ。「信州数日」の章で、美しい歌が突然現れる。雑事を離れるためかも知れない。とは云へ旅行中は古語が多くなるやうだ。
常世さぶ天(あめ)の群山(むらやま)あさよひに見つつ生ひ立つうまし信濃は
「天の」は香久山を形容するもので、拡大解釈して名山なら許容範囲だ。それを群山に使っては大袈裟過ぎると思ったが、群山とは飛騨山脈(北アルプス)のことだと気付き、それなら大袈裟ではない。とは云へ「生ひ立つ」の主語は何か。草木だが、それなら「見つつ」が矛盾する。「見つつ」は詠み人、「生ひ立つ」は草木では変だ。信濃の人たちのことだらうか。
とりよろふ五百津(いほつ)群山見わたしの高み国はら人もこもれり
「こもれり」は囲まれるの意味だらうか。
秋かぜの浅間のやどり朝露に天(あめ)の門(と)開く乗鞍の山
これは有名な歌だ。浅間温泉の裏山に石碑もある。
ニ月十四日(月)
明治四十三年、四十四年、大正元年は、佳い歌が無くなる。以上を数値にすると
明治三十三年 5/61=8%
明治三十四年 3/28=10%
明治三十五年 3/59=5%
明治三十六年 1/27=4%
明治三十七年 1/38=3%
明治三十八年 1/56=2%
明治三十九年 2/72=3%
明治四十年 1/53=2%
明治四十一年 -/61=1% (無いものは、今の二倍の歌があれば一つとした)
明治四十ニ年 2/63=3%
明治四十三年 -/16=3%
明治四十四年 -/22=2%
大正元年 -/24=2%
大正二年 -/15=3%
子規と左千夫の数値については、これから時間を掛けて精査したい。明治四十三年以降無しが続くのは、万葉調が少なくなったことが理由だ。このころ茂吉らと不仲になったのは、左千夫が古典派、茂吉らが進歩派と云ふ図式ではないやうな気がする。(終)
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