千六百八十九(和語の歌) 再雇用が終了し一年
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
ニ月十五日(火)
本日で、再雇用が終了し一年を経過した。明日から二年目になる。昨年は、定期券が少し残ったので新宿の家電量販店に行ったり、新宿や池袋の職安に行った。
定期券が終了すると、地元の埼玉仕事センターに行き、ここは職安と埼玉県の共同運営、と云ひたいが単に複数の組織が一箇所に集まっただけで、横の連携が無い。とは云へ、ここのパンフレットで見つけた仕事が今でも続くので、運営はともかく良い場所である。 この仕事は一日三時間か四時間が多い。今思へば、母を一人にしておくと心配なので、短時間は正解だった。そして、たまに一日七時間の仕事をすると、きつく感じるやうになった。私も年齢相応なのだらう。

ニ月十六日(水)
新たな仕事が決まったのは五月で、それまでは家でYouTubeの、(1)家電量販店の歌、(2)国内各宗派の僧による法話、(3)スーツさんの鉄道動画、(4)キャプテンジョーの航空動画、を観た。仕事が始まった後は、これらは見なくなった。YouTubeのCMが煩はしいためだ。
平行して、自転車で市内の図書館巡りをした。これは食後の血糖値上昇を下げるためでもあった。だから、近くの公園まで走って行き、鉄棒で懸垂運動をすることもあった。運動が足に偏らず、手にも配分するためだ。
手が空いて三月の間(あいだ)暇になる今となってはこれも思ひ出


ニ月十八日(金)
再雇用終了前まで勤めた会社のことを回想してみると、取締役の名前について記憶がない期間がある。
入社して五年後辺りに社長を除く全取締役が部長に格下げになった。代はりに社長の自宅近所の画家ともう一人が取締役になった。私は株主(額面500円で1000株だから、当時の基準だと単位株の10倍。おそらく上位十番くらい)であり、従業員でもあったが、画家の名前はまったく記憶にないし、もう一人がどう云ふ人だったのか記憶にない。
問題なのはそのあとだ。この二人は一期か二期で退任し、その後は誰が取締役なのかまったく記憶にない。例へば角山(仮名)と云ふ男がゐた。私は一年間この人のところに所属したが、指示を出さないし、会議をやらない。誰もが「あの人は今まで会った管理職の中で最低だね」と噂した。
もちろんあの男がそれ以上昇進するはずがない。ところが栗川(仮名)と云ふ株主総会で反対発言をする男が、あるとき「角山さんは取締役として不適切です。なぜなら・・・」と発言したことがあった。その発言をこの一年間に突然思ひ出し、角山は取締役だったのかと驚いた。
栗川は社長の親戚ではないかと云ふ噂があった。或る時、社長の奥さんのことを「xx子さん」と一回だけ口走ったので、この噂は本当だと確信した。その後、栗川は監査役になった。同じやうに角山も親戚かも知れない。
役(つと)めとは周りの為になることで偉ぶるために在るのではない

因みに角山が偉ぶったりはしなかった。一年間この人のところに所属したときもその後も話をする機会は無かったし、しゃべる時は口の奥で、もごもご云ふだけだった。

ニ月十九日(土)
この一年間で、もう一つ気付いたことがある。社長を除く全取締役が部長に格下げになったのは、倒産危機のときに彼らがサラリーマン取締役の立場に籠り、協力が不十分だったからだと思ってきた。
しかし格下げになったのは、株式公開を諦めてからだ。最初は店頭公開、次いでマザーズかJASDACへの上場に努力したが、目標年を毎年一年づつ遅らせたあと、結局できなかった。目的の無くなった組織は、既得権者の巣窟となる。
この会社が株式公開する機会は、二度あった。一度目は、倒産危機のときに株式を発行し取締役や従業員に売れば良かった。実際は新規発行をせず、社長と持株会社が50.1%を維持した。
二度目は、社長が会長になり、住友金属鹿島製鉄所から出向ののち転社された方が社長になった。実態は、社長室を会長室、社長秘書室長は会長秘書室長になり、社長は普通の従業員と同じ机だったが。
数年後に、経営を引き継ぐには借金も引き継がなくてはならないと云ふ話が出た。しかし元取締役の或る部長は、借金はすべて返済したと云ふ。社長個人の借金が残ったのかも知れない。このとき住友金属の方が社長を続ければ、上場できた。惜しいことをした。
この方の住金時代の同僚が、このときは都立特別支援学校の就職担当だった。その縁で私は特別講師(教員資格が無くても教壇に立てる)になれたので、大変にお世話になった。
北浦は霞ケ浦の隣にて 東に洋(なだ)を臨(のぞ)む陸(おか) 鉄(かね)を作りて型を取る 工(たく)む建物今日も休まず

(反歌) 鹿島には神の御宮と鉄(かね)作る石の油を作る群れあり

ニ月二十日(日)
住友金属の方は、国立の名古屋大学工学部卒業で、確か修士だと思ふ。似た学歴で東北大学工学部の修士の人もゐた。この人は六人ゐた元取締役(後に部長に降格)のうち、技術から唯一人選ばれたのに、技術全体の指揮を放棄し、ソフト製品輸入の海外連絡に閉じ籠った。
住友金属出身者は社長を続けてほしかったほど優秀だが、技術出身元取締役は極めて程度が低い。東北大地震の時に帰宅できなくなった人たちで、会社のテレビを見た。福島第一原発でなぜ原子炉が溶解したのか最初は分からなかった。いろいろ考へて放射性同位元素がアルファ線などを放出するときの熱だと想像した。
元技術出身取締役は東北大学原子核工学科の修士なのに「核分裂は急には止まらない」と主張した。数日後に、私の想像が正しかったが、この時点でも「核分裂は急には止まらない」と、まだそんなことを言ってゐた。
この差は、住友金属で実務にもまれた人と、ソフト製品の海外連絡に籠った人との差だと思ふ。別の言ひ方をすると、外国語が得意な人がその道に進むのはよいことだ。しかし原子核物理など別の分野が得意な人が英語に集中すると、頭が悪くなる。(終)

状況に合はせて生きる

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