千六百六十八(和語の歌) 稲盛和夫「成果主義ではみんなやる気を失ってしまう」記事を読んで
辛丑(2021)西暦元日後
閏月二日(日)(2022.1.2)
PRESIDENTのホームページに
「成果主義ではみんなやる気を失ってしまう」稲盛和夫がそう考えるようになった納得の理由

が載った。「稲盛和夫述・稲盛ライブラリー編『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』(PHP研究所)の一部を再編集したものです」とある。
人を評価するということぐらい難しいことはないのです。たとえ二十人、三十人の従業員でも、評価して、役職や給料を上げたり下げたり──下げるというのはめったにないかもしれませんが──するのは難しいことです。

これは同感だ。私が過去に勤務した幾つかの会社も、これができないため底の抜けたバケツと同じで、大量に採用しては、大量に退職する(させる)ことが続いた。
非常に難しく、やりにくいから、何かルールをつくって客観的な評価をする方法はないかと考える。そうすればトップである自分が悩まなくても、若い役員でも、また部課長でも決められます。(中略)しかしこれはやっても、すぐに矛盾が出てきてしまいます。だいたいそういうルールは何年も使えません。もし「ルールをつくってうまくいっています」という企業があれば、うまくいっているのではなく、うまくいったように思っているだけです。

これも同感だ。そして一番の問題点は、こんなやり方をしたために会社の業績が悪いのに、社長が責任を取って辞めないことだ。成果主義に一番反した。
辞めるべき 上が辞めずに 居座ると 儲かりますか あきまへんなあ 店じまひです


閏月三日(月)
記事は続いて
私の場合は、役職制をやめました。課長、部長という呼称もなくしました。そして、「あなたには二十人でこの仕事をしてもらう」「あなたにはこの工場を見てもらう」ということで分け、そのリーダーを「責任者」という呼称にしました。(以下略)
責任者に、「あなたは今度はダメだから降りなさい」という場合、あとは普通の人になります。そして、責任者には他の人になってもらう。課長とか部長というと、「部長が課長に落ちたとなったらメンツが立ちません」と言って辞めるだの何だのと揉めたりするので、責任者として、責任者でなくなれば普通の人というふうにしました。

これはよい制度だ。と同時に、今までの会社組織が変だった。創業時は、どの会社も責任者制度なのに、年月の経過とともに既得権が発生し、役職制になる。更に劣化すると、年功役職制になる。
年を経る どの会(あつ)まりも 堕ちるため 既に得たもの 権(かり)を忘れる


閏月四日(火)
どうすればみんなにやる気を起こさせ、どうすれば評価がうまくいくのかということは、企業の永遠の課題です。(中略)非常に優秀だからと、ある人を昇格させた。本人は喜ぶかもしれませんが、周囲の人にしてみれば、「あんなやつが上がって、なんで俺が上がらんのや」と、逆にモチベーションが下がるわけです。(中略)降格させたらさせたで、今度は「次は俺が下げられるんじゃないか」と恐怖心が出てきて、なおモチベーションアップにはならない。
ここは思ひ当たる。私が勤務した三つの職場では、次々と辞め(させ)るため、「次は俺の番ではないか」と、皆がやる気を無くした。
いろいろなことがあるものだから、何かルールを決めて、それにすがろうと思ってしまう。そうすれば責任がなくなって、気楽になるわけです。
ところがそうじゃないのです。人を評価するというのは、そういうことではありません。結局は社長が組織の中に入っていって、会合なんかにもすべて出ていって、何百人という人を心血を注いで見ていかなければならないのです。
その場合、もちろん業績も問題になってきます。京セラでは、部門ごとに来期の目標を、トップも含めてみんなで立てます。そして管理会計の手法で、部門別の業績がピシッと出てきますから、目標をどこまで達成したのかという業績も当然、問題になります。
よく成果主義といいます。つまり「業績を上げた人には払います、上げなかった人には払いません」というのが成果主義です。以前、大手電機メーカーがとり入れて、二年もしないうちにやめていますが、成果主義で頭を叩いたって頑張れるものではありません。

ここは貴重な情報なので、省略せず全文を挙げた。
成り果てる そんなやり方 繰り返し 会(あつ)まり壊し 国も壊した


閏月五日(水)
確かに、立てた目標を達成すれば評価しなければならないと思いますが、たとえ目標を達成できなくても、必死で頑張った人は頑張ったなりの評価をしてあげないと、後々、誰も頑張りません。(中略)業績がいいときはもちろん、悪いときでも歯を食いしばって、従業員の生活を考えて面倒を見ていくことが必要なだけに、ただ、いいときには払えばいい、悪いときには払わなくてもいいというわけにはいかないのです。
さすが稲盛さん。云ふ事が正しい。根底で云へることは、経営者が私欲になってはいけない。一部の人たちだけを優遇してもいけない。その正反対をやったのが、これまで勤務した幾つかの職場だった。
ですから、人を評価するにはルールを決めておけばいちばん楽ですが、それよりも本当に心血を注いで従業員を見ていくことです。私は、部門別会議などをいっぱいやって、いろんな意見を言い合います。
また、それを離れて、今度はコンパをして一緒に飲み、従業員の言動を見聞きするなかで、「こいつはしっかりしているな」「こいつはチャランポランやな」「会議ではいっぱしのことを言うけれども、人間としてはダメだな」とか、そうしたことを全部見抜いていって、最終的な評価になっていくのです。

これも、稲盛さんの云ふ事は正しい。根底で云へることは、無能な人間は経営者になってはいけない。従業員を評価することができない。逆に従業員から「あの経営者はしっかりしてないな」「あの経営者はチャランポランやな」「あの経営者はいっぱしのことを言うけれども、人間としてはダメだな」と思はれてしまふ。(終)

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