千五百八十一(和語の歌) 行動日記(年号表示、わさびとからし、西新宿の居酒屋、一日乘車劵、二十八年以上前の不動産屋が閉店)
辛丑(2021)
六月六日(日)年号表示

今年の一月一日から二月十一日までは本来の新年ではないから「庚子西暦元日後(2021)」を用ゐて、二月十二日以降は「辛丑(2021)」を用ゐてきた。ところが、この特集を作る時に「庚子西暦元日後(2021)」のままだ。調べてみると、(モリカケ桜疑獄二百の二)のファイルをコピーして(モリカケ桜疑獄二百の三)を作ったため、年表示が元に戻ってしまった。
今まで気づかなかったのは、行動日記も古いものをコピーするため、年表示が新しくなる。(モリカケ桜疑獄)から(行動心象日記)までの間だけが、元の表示だった。結局、修正したのは110ファイルのうち32ファイルで、19分掛かった。

六月八日(火)わさびとからし
Seimsで買った五食入りそばを食べて、気付いたことがある。家にあるわさびとからしは、味が同じだ。前回はBig-Aのそばを食べた。少しくせのある味なのでからしを使ったためかと思った。しかしそば湯もくせのある味がする。この味はこのそばの特徴で、これを好む人もゐるのだらう。
わさびチューブの印刷を見ると、西洋わさびが主材料だ。或いは、わさびもからしも、辛いだけかも知れない。からしを使ふ理由は、行動日記(四十五の二)にも書いたが、納豆に添付され多くなると捨てられてしまふから、その前に消費する必要がある。
蕎麦食べて わさびとからし 味同じ 私は思ふ 色のみ違ふ


六月十一日(金)西新宿の居酒屋
昨日午前に有楽町線副都心線沿線に行く用事があった。午後は板橋に用事があるが、最初の用事が終はった後に、空いた時間をどう過ごすかが問題だ。
そこで、東京メトロの二十四時間乗車券(六百円)を購入した。まづ千川で降りた。ミャンマーのお寺に行くとき、よく千川で降りたものだった。ライフの前に在った地上出口が、ずいぶん南東に移動したのは四年ほど前の話だ。板橋高校の六叉路で折り返した。
次に小竹向原で降りた。少し行って戻った。河川跡や団地まで行けば、懐かしいかも知れない。しかし用事の時刻が迫ったので、印刷工場手前で折り返した。そのときは、小竹向原での乗降は数回だったから懐かしくないと思った。
用事を済ませたあと、新中野で降りて、十貫坂上の中華料理屋までで折り返した。その手前のセブンイレブンがまいばすけっとになったのは、前回の話題だ。鍋横の交差点のコーノと云ふ食品スーパーがセブンイレブンになったのも、前回の話題だ。
西新宿で降りて、二月まで勤務した会社のビルまで行った。入口左側で工事中だったから、何の店或いは料理店ができたのだらうと期待したが、相変はらず台所のショールームだった。
野村ビルの地下二階と地下一階の店舗街を見て十一時まで待ったあと、三つのタイ料理店が並ぶ路地に行った。一番手前が休業中なのは予想内だった。残りの二つがまだ十一時は開業前だったのは、予想外だった。タイ料理の向かひに、「居酒屋わたなべ」を発見した。入口に「ほそぼそと営業してます」と書いてあるので、営業支援を兼ねて入った。生姜焼き定食七百円(税込み)を食べた。昭和の香りが漂ふ。ここはお薦めの店だ。機会があったら、さば焼き定食とさんま焼き定食(いづれも七百円込み)も食べたいものだ。
本日も昨日に続き、有楽町線副都心線沿線に行く用事があった。昨日の二十四時間乗車券が往路だけ使へた。500-(168*3)=104。104円で、いろいろ廻れてよかった。東京メトロも、用事がないのに104円余分に乗ってもらへた。商売は、双方が得をするやうにやるのが一番良い。
ゼロサムの原理では、誰が損をしたか。商売の下手な交通機関だ。具体的にはJR東日本と国際興業だ。

六月十ニ日(土)一日乗車券
国際興業が、バス一日乗車券の販売を開始した。有効区間は東京と埼玉(飯能営業所を除く)。ところが七百円と高い。昨日は、商売の下手な交通機関に挙げたが、本日は誉めようとしたのに、もう逆になった。
解決策として、都内のみ、埼玉(飯能営業所を除く)のみを五百円で販売したらどうかと提案しようと思ったら、既に販売してゐた都内乗り継ぎ一日乗車券(五百円)が廃止になった。
京都市交通局は、一日乗車券の大幅値上げをするさうだ。
・バス一日券:600円→700円
・地下鉄・バス一日券:900円→1100円
・地下鉄・バス二日券:廃止
・地下鉄一日券:600円→800円
・京都修学旅行1dayチケット:700円→800円
・京都修学旅行1dayチケット(京阪電車拡大版):1000円→1100円
京都は観光客が多いから、値上げしても一定の需要はあるだらう。京都市が宿泊税を導入したときから、私は京都市内には宿泊しないことにした。この金額だと、一日券を買ふことも永久に無くなった。
国際興業と京都市交通局は、私と発想が逆だ。

六月十ニ日(土)その二二十八年以上前の不動産屋が閉店
半月ほど前に、二十八年以上前からあった不動産屋が無くなった。日曜、木曜休業と書かれた標識だけが残った。なぜ二十八年以上前なのかと云ふと、結婚の時に母が、三百万円くらいの安い中古の家を買ふ方法があると云ふ。
その不動産屋に相談したが、あまりいい物件が無い。大宮の先で駅から遠いならありさうだ。そのうち勤務先が鶴見に変更され、鶴見の賃貸マンションに移転した。
懐かしい不動産屋が廃業した。たぶん高齢のためだらう。土地に合はせた三角形の小さな建物だった。
少しづつ 家や建物 入れ替はり 年を重ねて 大きく変はる
(終)

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