千五百八十一(和語の歌、普通の歌) 行動日記(従妹来訪、コンセント交換、蕎麦、両国、加湿器、王子と板橋、十州体験)
辛丑(2021)
五月二十四日(月)
母の姪(私の従妹)が我が家を訪れた。母、私と、たまたま在宅勤務でゐた私の下の子と、四名で話が弾んだ。下の子も話に加はれるやうに、母の父は、冬季五輪の小平選手の所属する相澤病院の先々代院長と仲が良かった、信州大学は信大と云ふが、新潟大学も新大だ、など話を誘導した。
下の子が仕事に戻った後、祖父の親戚の話に移った。帰るときは教へてほしいと云ふので連絡し、一家総出でお見送りをした。お見送りと入力しようとして、御神渡りと入れさうになった。
昼下がり 私の従姉が やって来て 母と我が子が 加はりて 話が弾み 日暮れが早し

(反歌) 母の父 その兄さんと 父さんと 伯父の話で また盛り上がる

五月二十五日(火)
昨日はまづ、油性ペンキとマスカーと、壁コンセントを買ふやう云はれてゐたので買ひに行った。従姉が来た時刻の前と後に、廊下とガスレンヂ横のコンセントを交換した。廊下は昭和四十七年に新築して以来、初めての交換。ガスレンヂ横は、一度交換してあった。
本日は残りの一箇所となった、冷蔵庫横を交換した。ここも新築以来の交換となった。昨日のガスレンヂ横と、本日の冷蔵庫横は、どちらもタイル張りでネジの長さが上下で異なる。
昨日は上の長いネジがなかなかネジ穴に入らず、しかも完全に閉まる前に回らなくなる。上は5mm程度の遊びがあるので、下をきつく締めてプレートがガタガタしないやうにした。今までは上がネジ無しだった。
本日の冷蔵庫横は、下が長く上が短い。下は簡単に締められ、上はねじ穴に入らないので、そのままにした。ここは冷蔵庫とガス警報器で、コンセントが固定だ。だからネジ無しでも大丈夫だらう。
古い家 ねじが長くて 締めるのに 半時ほどが 過ぎてしまった
もう一つ ねじ短くも 締めるのが 難しいので そのままにした


五月二十七日(木)
中型または大型のカップ天ぷらそばを止めて、普通の蕎麦を買ふやうになった。三つ入りで、火曜の次に本日の昼に食べた。
本日特記すべきは、わさびの代はりにからしを使ってみた。納豆に添付されるからしを、私以外は使はない。だから溜まる。捨てるのはもったいないから、大型シュウマイ三つに一包づつ使ひ、蕎麦にも一包使った。
からさは同じだ。蕎麦と微かに不協和な味がするのと、わさびのうま味がないだけで、不味くはなかった。蕎麦湯は残さず飲むから、健康的だ。
蕎麦をゆで お昼に食べて 蕎麦湯飲む 体によしと 昔から云ふ


五月二十九日(土)
昨夜、子供が急に腹痛になった。緊急医療センターで夜間診察をする医院を聞いて、電話を掛けるがどこも対応できず、そのうち腹痛が治まったので本日胃腸科に行ったところ、何でもなかったさうだ。大事にならずよかった。
私は午前中用事があり、墨田区の東両国に行った。そんな地名があるかと云はれさうだが、かう云ふことになる。隅田川の旧日本橋区側が両国、隅田川の墨田区側が東両国だった。両国橋の西側に都電の「両国(日本橋)」と書かれた停留所があった。
下総と 武蔵の境 隅田川 街が広がり 東も江戸に


五月三十日(日)
明け方に、鼻づまりのため加湿器を数日ぶりに復活させた。昨日も少し症状があった。或いは一昨日に探し物をして埃を吸い込んだためか。アレルギーと湿度のどちらが原因かは不明だ。しかし加湿器で解決する。

五月三十一日(月)
昼食は王子で取った。タイカレーも扱ふインドカレー店に行ったところ、定休日だった。次は中華料理にしようとしたが、麺類と半チャーハンの組み合はせは栄養が偏る。
久しぶりの日本食堂で鰻玉丼(七百円込)を食べた。鰻と卵が不協和音だが、少量の鰻を丼に展開する方法だ。十二時四十五分に入ったが、次々とお客さんが来るのに感心した。

六月一日(火)
昼食は午前十一時半に、板橋駅近くのタイミャンマー料理店に久しぶりに行った。弁当(六百四十八円)を買ひ、その先の公園で食べた。
私の前に弁当を買ふ女性がゐたし、店内に男女の客がゐた。ここは在日ミャンマー人が経営するが、弁当はすべてタイ、店内の料理も二つを除きタイだ。 コロナ騒ぎで、消費税分を値上げしたので先行きを心配したが、タイとミャンマーの人たちが固定客でゐるらしく、安心した。

六月三日(水)
昨夜は加湿器を省略したが、鼻つまりは起きなかった。その数日前に、前日の微かな症状で加湿器を使ったが翌朝は軽く起きたことがあった。湿度ではなくほこりが原因か。加湿器を使ったので軽症で済んだか。湿度とほこりの攻防は続く。
昨日、秩父から信州に直行する市道を走る動画を二本観た。一本目は長野県側は舗装、埼玉県側は未舗装と云ふ動画で、バイクで長野県側を走行するものだ。オフ車の語を始めて知った。二本目は、埼玉県側を四輪駆動で登るもので、冬は閉鎖、夜間も閉鎖、三年間ほど閉鎖、落石を踏むとパンクするがパンク修理スプレーでは対応できないのに予備タイヤを積まない車が多い、の知識を得た。
父がまだ 健在にして 妹も 嫁に行く前 家ぢゅうで 夏に秩父へ 旅行した 道路標識 矢印の 先に書かれた 長野県 川上村で 十州を見た

(反歌) 県の歌 信濃の国の 十州を 秩父の山で 体験をした(終) 

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