千五百六十七(新和語の和歌) 行動日記(本日の羽田航路、芝園団地、カップ天ソバ、見沼代用水、スエヒロ館)
辛丑(2021)
五月六日(木)
いつもは午後三時以降、羽田に着陸する滑走路が東西二本から南北二本になる。そしてさいたま市上空から降下に入る。ところが本日は午後も北風のため、着陸は木更津方面から南北二本、離陸は東西の南側一本は千葉市方面、南北の東側一本で江戸川区方面だ。つまり南北の東側滑走路は、着陸の半分と離陸の半分が利用する。
夕方になっても航空機の音が確か一つだけだったので、調べて判った。
空を飛ぶ 乗り物の音 日暮れ前 響かないのは 風向きが いつもと違ふ 稀なることが

(反歌) 羽田より 成田を使ふ このことが 外の国との 元の考へ

五月九日(日)
昼食後は三十分おとなしく休み、そのあと自転車に三十分程度載って血糖値上昇を抑へる。これが私の健康法だ。本日は東北本線の線路まで行き、そのまま南下した。この時点で行き先は決まってゐなかった。外環道陸橋下の新曾用水を見ると、水がまったく流れない。今までは水が必ず流れてゐた。
そのまま線路に沿って芝園団地まで行った。かつて日本車両の工場があった。豊川工場に移転の後は、住宅公団の団地になった。その後、中国人居住率が高くなったニュースを読んだ。
団地の裏の道を北上すると、文蔵川にぶつかる。前はいつも豊かな水量だったのに、今はほとんど水が流れない。昨年ここまで鯉が来たことを書いた。
(夕方、追記)妻から云はれた仏壇のお花を買ひに行くついでに、新曾用水が文蔵川へ合流する箇所へ寄った。水は落ちるので安心した。水量が少ないので、外環の下はずっと見ないと流れが判らなかった。
米作り 水があるかに 気をもむと 同じく今も 流れ気にする


五月十二日(水)
勤めてゐた時は、昼食に週二回、中型または大型のカップ天ぷらソバを食べた。それは在宅勤務になったときも、再雇用終了後も同じだった。しかし家には鍋があるからカップのソバを食べる必要はない。
そのことに気付いたのは、家でカップのソバを食べると、胃にもたれる。会社ではたんぱく源として魚の缶詰か魚ソーセージだ。家だと、日によって異なるが肉が多い。すると油分が多くなり過ぎる。カップの天ぷらソバは油が多い。天ぷらが原因かソバが原因かは判らない。
そのためカップのソバは購入を中止し、今日のお昼が最後の一つだった。
湯を入れて できるソバには 脂(あぶら)あり 体に悪い おそれある 胃もたれにより 気付き終らす


自転車で通りかかったら、噴霧器店のお爺さんを見掛けた。見沼代用水西縁辻分水路についてお話を訊いた。水路は二つに分かれた後、最後は別々に笹目川に流れたさうだ。郵便局のある辺りで合流するのでそのことを訊いたが、合流は知らないやうだ。
見沼土地改良区の資料によると、辻用水の管轄は旧国道とあったことを訊いたが、ご存知なかった。南寄りの新曽用水は見沼土地改良区の管轄と話された。これは正しい。
田の水で 稲の穂育ち 実を結ぶ 北足立にて 水の路(みち) 尋ねてみても 誰も判らず

(反歌) 干支の支が 四回り前の 水の路(みち) 時の流れと 共に消え去る

五月十五日(土)
妻と私で、自宅の二階一番奥の部屋の補修を行った。木部は白木で黒く変色したのでペンキを塗った。白木みのるではない、と云ふ冗談は古すぎた。てなもんや三度笠(一九六二年~一九六八年)を知る人は少なくなった。
壁は壁紙を貼った。壁紙を貼ると、壁もずいぶん黒ずんだことが判る。これですべての部屋が終了した。
昼食はスエヒロ館に行った。前回は子もいっしょだったが、今回は私と妻だけだった。ランチメニューのハンバーカーとカキ2つのライスを注文したところ、本日は別の一種だけださうだ。しかし提案があるとして、別のメニューにカキ2つ200円を追加すれば値段がほぼ同じだ。これにサラダバーを追加した。
ドリンクバーも提案されたが、サラダバーとドリンクバーだと満腹になり過ぎるため、それは辞退した。若いのに商売熱心で感心だ。勧めながら爽やかなところがよい。
品を売り お金をもらふ 常並みを ほかの物をも お勧めし しかし爽やか 増し保つ 店と来た人 どちらにも 悪い心を 起こさない これが商ひ 栄へる道だ

(反歌) 商ひは 店来た人に 勧めつつ 爽やかにする これが要だ
昼食後は、大河ドラマを観て、部屋の補修を再開した。一日掛かりになった。(終) 

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