千五百七十三(歌) 大宮盆栽村訪問記
辛丑(2021)
五月一日(土)
今日は、さいたま市民の日だ。大宮盆栽美術館が無料なので見に行った。得意の自転車で大宮西部図書館に寄った後に行かうとしたら、自転車が無い。子供が使用中だ。予定を変更し、大宮西部図書館は後日に延期し、電車で行った。
これまで盆栽にいい印象は持たなかった。盆栽は永続不可能だ。別の表現では、再生不可能だ。しかし、樹齢が数百年はざらで、千年のものもある。これを見て、盆栽は永続可能の園芸だと考へを変へた。
盆栽は 永続不可に 非ずして 千年間の 歴史を刻む

そのあと盆栽村に寄った。五つの盆栽園がある。数が少なくなった理由は、土呂駅の開業だ。土呂駅が無ければ、盆栽が主な産業だった。駅があれば、宅地化したほうがよくなる。
盆栽村は、駒込村団子坂付近の盆栽業者が、関東大震災で宅地化されるに伴ひ大宮に移転した。盆栽村を作るに当り、宅地の場合は盆栽十鉢以上を置き、塀は作らず二階建てにはしないと云ふ協定を結んだ。田園調布を彷彿とさせるが、こちらは今も協定が活きるため、高額な敷地を分割できず、買ひ手が見つからないと云ふニュースを数年前に読んだ。
大宮の 盆栽村は 落ち着いた 街造りにて 鉢の木の 姿に倣ひ 形整ふ

(反歌) 駅ができ 盆栽園が 宅地化し しかしその街 面影残す
最初の計画では、大宮公園駅から大宮駅まで東武野田線に乗り、 さいたま市民の日で同じく無料の宇宙劇場に行く予定だった。この時点で盆栽園五ヶ所のうち四ヶ所を廻った。大宮公園駅に行かうとして芙蓉園の裏まで行ったが道がない。
自転車から電車での往復に変更の後は、大宮駅前の宇宙劇場に寄る予定だったが気が変はり、最後の一箇所の盆栽園も観た。漫画会館に寄った。神社の石碑を観た。そして帰宅した。
五ヶ所ある 盆栽園に 寄ってみて、やる気があるは 一番だ 盆栽教室 これもよい お年を召した 人のみが 水やりするは 閉園の 予備軍に見え 心配になる

(反歌) 若者が 元気に働く 場所どこも 活気があって 未来に続く
漫画会館は、大宮宿と縁の深い北沢楽天が、晩年に盆栽村に転居した邸宅の跡だ。奥様が大宮市に寄贈された。まだ小さな市だったので、市内の有名な人と市民との間に、共通の意識があった。
大宮は 小さな市にて 楽天の ご遺族家を 市に寄贈 漫画会館 造られて 近代漫画の 祖を今に 百年後も 変はることなく

(反歌) 大宮が 小さな市から 発達し 合併しても 変はることなく(終)
追記 此処から先は、盆栽とは無縁の冗談を二つ。
盆栽と よく似た言葉 凡才は 依怙贔屓する 政治屋に見る
凡才は 松陰先生 無き後の 二流未満の 政治屋に見る


(見沼代用水と地元の話題、二十一の三)  (見沼代用水と地元の話題、二十三)

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