千五百三十一(和歌) 1.IT業界の問題点、2.いとうまい子と富士通
辛丑(2021)
三月三日(水)
高年齢求職者給付金の申し込みに職安を訪れたところ、失業中の人が丁度「IT業界は伸びるから」と勧められてゐる場面に遭遇した。この人がIT業界に就職したときは活躍してほしいと願ふとともに、IT業界には注意すべきことがあるので、それを説明したい。
私はこれまで、人数の少ない企業に勤めることが多かった。唯一の例外が富士通マイコンシステムズ株式会社で、従業員は四百数十名だったが、パソコンが富士通の半導体事業本部から電算部門(電算事業本部、システム本部、営業推進本部、営業本部)に移管されたため、まづ会社が半導体に残る組と電算に行く組の二つに分割された。そして電算部門は四本部の連合体のため、更に三分割された。
富士通は、富士電機の子会社だった富士通信機製造が親会社を追ひ抜いたため、子会社に同じことをされないための子会社いじめがひどかった。私の所属する会社は、二十人くらいに減った上に、富士通から嫌な連中が役職一階特進(平社員が課長、課長が部長)で何人も来たため、まもなく転職した。
半導体 FMシリーズ
貸し切りの 臨時列車を
全国に 首都圏にては
新宿の ホームと川口
保土ヶ谷と 貨物の跡地に
展示して 伊藤麻衣子が
キャラクター メモリー不況で 瞬時にしぼむ

(反歌) 後の世に いとうまい子は ロボットと 予防医学で 博士号取る
Googleに「いとうまい子 富士通」と入れて検索しよう。懐かしいポスターが出てくる。

次の専門学校教師時代は、教員と事務員合はせて二十人くらいだったが、四月の新学期に三十人、翌年は五十人と激増し、まもなく高転びに転んだ。池袋校は閉鎖、大塚校は数年後に倒産した。かつては山手線の車内広告に派手なポスターを用ゐて日の出の勢ひだったが、安国寺恵瓊の織田信長評と同じになった。

三月三日(水)その二
先日まで勤務した会社は、中途入社時に二百名はゐたと思ふ。正確な数字が判らないのは、毎年大きく変動するからだった。
今までの経験から、二百名規模の会社に転職できてよかった、と喜ぶのも束の間に、入社一週間で大変なことに気付いた。上層部のスキルがどう見ても二百人の会社ではない。二十人だ。社外で仕事をする比率の高い会社は、従業員数を10で割り算しないと、大変な誤解をする。
社外での 勤務工数 請負請負と
分類するが
社内には スキル溜まらず 零細企業

(反歌) 職安の 行政指導で その後は 特定派遣 実態変はらず
(反歌) 更に今 特定派遣 廃止され 偽装請負 復活なのか よくわからない

三月四日(木)
昨日その二の反歌を解説すると、IT業界では偽装請負が横行した。特定派遣の登録はほとんどの会社がしてゐなかった。その後、特定派遣の登録をするやう労働局から指導があり、多くのIT企業が登録したが、実態は変はらなかった。今までは違法だったのに、見かけ上は合法になったため、技術者の立場は一層悪くなった。
特定派遣が廃止されたが、その後のことは現場を離れたため、よくわからない。IT企業が特定派遣の登録をしても、多くは偽装請負のままだったから、廃止されても変はらないのではないか。
富士通の別の子会社から、ずいぶん前だが私が先日まで勤務した会社に定年前後の人が転属した。社内イントラの導入(と云っても製品を買っただけだが)に尽力し、稼働の後に載せた営業資料に、私の客先業務が派遣契約だと書いてあった。
労働委員会でこの客先業務は派遣ではないと会社側弁護士が云ふので、私はこの社内イントラを説明したが、そのやうな資料は無かったと云ふ。派遣か派遣でないかは過去のことなので、それ以上は主張しなかったが。
この富士通子会社出身者があるとき、富士通の副社長半導体事業本部長で、富士通マイコンシステムズ社長(兼)だった人について「叩き上げだよ。管理職の研修会に副社長だから出席して、半導体の課長に『こんなところに来てゐては駄目だ』と云った」と云ふ。電算部門が半導体部門をどう思ってゐるのかよく判る。私が「富士通から嫌な連中が役職一階特進」と感じた理由はこれだった。
さう云へば、私が半導体から電算側の子会社に移籍して二年ほどして或る富士通の部長が「一時は半導体がおとなしくなったが、最近業績が良くなったのでまた傲慢になってきたな。親分が悪いと下まで悪いな」と云った。親分と云ふのは、私が半導体の子会社に居たときの兼務社長だから、不愉快な思ひをした。

三月五日(金)
社内で勤務すれば、顔を合はせるし親しみも湧く。社外に出したときに、また社内に戻れるならよいが、永久に社外に出す予定だと、使ひ捨て要員になる。一人月(いちにんげつ)の単価と給料保険料交通費の差額しか、考慮されなくなる。
二十年ほど前に社長室のパソコンが起動しなくなり、誰が行っても直らないので、最後に私が行って直した。DOSコマンドのファイル属性変更を知らないと、直せない内容だった。
そのとき誰の発言かは書かないが(社長とは限らない)「そろそろxxさんは退職させたほうが、会社と本人にとってハッピーだなあ」と云った。金額しか見ないと、かう云ふ扱ひになる。
労働者 使ひ捨てに してはいけない
上層部 仔細に口出し してはいけない

(反歌) 人員の 配置待遇 教育は 上司と人事の 担当にして

三月六日(土)
社内勤務でも、IT業界は問題がしょっちゅう発生する。業務は会社が受注し、それを従業員に割り振る。うまく行かないときは、会社が増員するなり、その分野に詳しい技術者を応援に付けるなりすべきだ。ところが、IT業界は丸投げで個人か末端組織の責任にされる。
会社が受注し、個人に割り振る原則を崩してはならない。これを崩すと、個人が無理をして、うつ病や自律神経失調症になる。休職し治療をしても、復職後は長続きせずほとんどが退職する。
これは富士通の電算事業本部でも問題になった。大型コンピュータは大丈夫なのに、なぜパソコンはうつ病、自律神経失調症、急性錯乱などが起きるのか。そのときは私も判らなかったが、大型コンピュータは大組織で行動する。パソコンは個人か小組織で行動する。

三月七日(日)
Fujitsu Micro8(通称FM-8)のキャラクターに、いとうまい子を採用したのは、マイコン事業部とまい子を掛けたためだらう。マイコンとはマイクロプロセッサにメモリなども組み込んで1チップにしたものだ。パソコンはマイクロプロセッサとメモリを別々に筐体内へ装着したが、原理は同じなので、マイコン事業部の担当だった。
電算部門は、電算事業本部とは別に、間接部門としてシステム本部、営業推進本部、営業本部を持った。それに対し半導体事業本部(パソコンにも進出したため、この当時は電子デバイス事業本部と改称した)は、本部内に間接部門として半導体統括営業部があり、全国の営業所のなかの札幌、東北、金沢、長野、静岡、名古屋、大阪、広島、九州に、半導体営業部を支店から独立状態で本部傘下として置いた。
マイコン事業部は、部が四つあり、そのうち一つがパソコン技術部だった。組織の命名法から、パソコンはパソコンと呼んだことが判るが、同時期にマイカーと同じ発想でマイコンと呼ぶことが世間に広まった。そんな時期に、まい子さんをキャラクターに採用したのだった。
因みにFujitsu Micro7(このあとNew7からFMが正式名になる)からは、タモリがキャラクターになった。インターネットで調べると、Micro8の末期から、とある。イモリは両生類、タモリは爬虫類である。(終)

三月十五日(月)追記
正確な記録の為に追記すると、貸し切りの臨時列車とは、国鉄(当時)の12系客車の車内をパソコンの展示室に改造し、首都圏だったら新宿駅のホームや、川口駅や保土ヶ谷駅の貨物扱い所の跡地に朝から夕方まで停車させた。私は、この三駅は見に行ったので記憶にあるが、首都圏でこれ以外の駅にも行ったと思ふ。全国を順番に回った。
この当時は、伊藤麻衣子とは契約を終了し、タモリの時代だった。伊藤麻衣子は、まったく登場しなかった。

富士通グループ初のBtoC専門家が上新電機から来た話

関連情報1へ 関連情報3へ

メニューへ戻る 和歌(七十一)へ 和歌(七十三)へ