千四百八十九 (和歌)「お客様は神様」は間違ひ、「お客様は仏様」が正しい
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十一月十二日(木)
三波春夫が「お客様は神様です」と云った。三波春夫が云ふから正しいのであって、言葉が独り歩きをすると大変なことになる。パワハラならぬ客ハラ、神ハラになる。
私は店で購入するときに「ありがとう」と、こちらからも云ふことが多い。云はなくても軽く会釈をする。「お客様は仏様」が正しい。
日本語の仏様には、幾つかの意味がある。ここで云ふ仏様とは、優しい、穏やか、親切の意味である。
--------------------------ここから(兼モリカケ桜疑獄百九十九の二)----------------------------------------------
神様は 生命体の
意味にして 普通の神や
良い神や 乱暴な神も
存在し 長く仏道
神々を 導くこれが 神仏習合
(反歌)一流や 二流の消えた 長州が 廃仏毀釈 今でも続く
今でも続くのは、神仏分離か、それとも長州の三流、四流政治屋か。種明かしをすれば両方だ。山口県の一般の人たちは、前原一誠の萩の乱をみれば判るやうに、皆いい人たちだ。しかし政治屋は違ふ。

十一月十三日(金)
神とは生命体のことだと聞いて、すぐに納得するのは公明党の議員たちであらう。第九世日有の古文書に
神座を立ざる事、御本尊授与の時、真俗弟子等の示し書き之れ有り(以下略)

とあるからだ。神座とは位牌のことだ。
否、公明党ばかりではない。江戸時代までの日本人なら誰でも判った。判らなくしたのは長州の三流、四流政治屋だ。
XX教の天主を神と訳したのも誤訳だ。誤訳をした理由は、廃仏毀釈で神のみを尊いとした社会情勢だらう。やはり長州の三流、四流政治屋が悪い。合はせて長州の政治屋は六流、八流だ。
神座とは 位牌のことで
神座には 優れた人や
悪人も 祭ると云へど
その中で 最も多い 普通の人たち
(反歌)神仏の 分離が先の 敗戦の 原因だから 長州朝敵
(2021年六月十六日(水)追記
僧X系四団体に言及するときはこのページも紹介することにした。新たに加入し、人生を大きく曲げることがあってはならない。XX会員の幼児餓死事件と、X宗悪坊主のボンネット上女性殺人未遂事件のやうな事件を、二度と起こしてはならない)
(モリカケ桜疑獄百九十九の一)(モリカケ桜疑獄百九十九の三)
--------------------------ここまで(兼モリカケ桜疑獄百九十九の二)----------------------------------------------

十一月十四日(土)
普通に考へて正しいのは「お客様は人間です」だ。しかし人間を畜生より上位に置くことはよくない。だから「お客様は生きとし生けるものです」が正しい。更に望ましいのは「お客様は仏様です」だ。
私がこのことに気付いたのは、総持寺の日曜参禅会に参加したときだ。互いに合掌して挨拶するときに思った。だから僧X信仰では気付かない。
その一方で、一切衆生に仏性があるとする主張は偽善で好きではない。この主張は大乗系ではどの宗派もすると思ふ。仏性があるのではなく、日常の行動で仏性が累積される。そのことが判れば、客の立場でも「ありがとう」と云ったほうがよい。それで仏性が僅かでも累積するのだから。
仏性は 日々の行動
大切だ 良い事すれば
その分の 仏性溜まり
悪い事 すれば仏性
消費する 止観で正す 日々の行動
(反歌)臨済の 衆生本来 仏なり これは衆生の 激励のため
(反歌)止観とは 読経のことと 大乗が 捉へることは これも正しい
(反歌)止観とは 神を礼拝 することと 一神教の 主張も正しい(終)

(和歌二十九)、固定思想(二百五十四)固定思想(二百五十六)

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