千四百七十一 (和歌)二つのお葬式
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
九月十四日(月)
叔父(母の妹の夫)が亡くなったと電話があった。電話は母に引き継いだので、電話を終了したあと、お葬式は熊本でやるのではないか(叔父は熊本出身)など、話が混乱するばかりだ。昨日と本日に何回も電話を掛け直したものの繋がらなかった。
偶然はあるものだ。今度は別の電話があり、叔母(父の妹)が亡くなった。こちらは家族葬なので、参列しないことになった。
偶然は 確率論で 考へよ 偶然はない あるのは普通だ
九月十五日(火)
叔母(母の妹)と電話が繋がり、日時と会場を教へてもらった。明日の十時半からで、明日は休暇を取ってあった。これも偶然だが普通のことだ。
式場は牛久なので、帰りに牛久大仏に寄るか、牛久沼に寄るか、と計画を考へた。牛久大仏は浄土真宗東本願寺派だ。これは真宗大谷派の騒動で、京都の総本山が宗務総長派の包括法人に統合された。そのとき法主の嫡男が東京浅草の東本願寺別院を独立させた。そのため宗派離脱で、次期法主にはなれなかったが、独立した小さな宗派の法主になった。
仏道は 世襲ではなく
財産や 地位も関係
無いものの 私個人は 浅草を支持
(反歌)将来は 二派が元に 収まって 法主が戻る 日が来る予感
九月十六日(水)
牛久大仏はバスの便が悪い。牛久駅発13時5分に乗らないと、大仏をゆっくり見ることができない。その次だと21分しか見学時間がない。牛久大仏は中止した。
駅から式場まで歩く途中で、駐車中の車は「土浦」「つくば」ナンバーばかりだ。一台だけ「茨」があった。車の塗装はきれいだし分類番号(小型車は4か5)は二桁だ。それほど古さうには見えなかった。
お葬式は、こちらも家族葬だった。とは云へ、母と叔母は仲がよいし、従妹の嫁ぎ先が我が家から直線距離で6Kmだ。しかもその娘が保育士で勤務先は、我が家の近くだ。だから私はすぐに、準家族で溶け込んだ。
家族葬 故人を送るに ふさはしい 将来更に 増えるであらう
従妹の嫁ぎ先が霊友会の家庭なので、霊友会式に法要が行はれた。導師は従妹が勤めた。在家の導師もよいものだ。
僧Xを 信仰するなら
小派にて X宗や
X寺 その元信徒
団体は 既得権が 浸食したか
(反歌)霊友会 多数の会派が 独立し 分離はしても 伝統守る
会場に着くまで宗派が判らなかったので、数珠は埼玉県東松山市にミャンマー寺院が建立されたときに頂いたものを使用した。在日ミャンマー人と結婚した日本人用に作られたが、単独でお参りした日本人も頂いた。上座ではお守りとして、手首に糸を巻くことがあるが、糸を切ってはいけないから、自然に切れるまでに糸が垢で黒くなる。この糸を日本人向けに、数珠の先に付けた珍しいものだ。
日本には 多数の宗派が
あるために 使用したのは
仏道の 本家と云へる 上座の仏具
(反歌)国内の 大きな宗派は 既得権 切り離したのち 再生期待
九月十七日(木)
昨日はお葬式ののち、火葬の為につくばメモリアルホールへ向かった。牛久からかなり時間が掛かった。
新治と 筑波を過ぎて
幾日か 酒折宮の
物語 連想しながら 斎場に着く
(反歌)斎場は 敷地が広く 筑波嶺を 背に見て今日も 死者を送る
小さな女の子が、保育士のお姉さん(本当の関係は従姉どほし)を気に入って、火葬が終はるまでずっと遊んだ。保育士は幼児の扱ひが得意だからねえと皆で関心した。
幼児が目 きらきらさせて 保育士と 遊ぶ姿に 皆が感心
保育士の スキルは貴重だ 両親に 還元の道 活用期待
保育園、幼稚園で保育士、幼稚園教師のスキルを両親に伝へる機会があるとよい。(終)
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