千四百七十一 (和歌)お葬式外伝
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
九月十九日(土)
お葬式でお会ひした従妹は私の母に云はれて先祖を調べるため、文京区役所まで行ったが空襲で燃えて除籍謄本は無かった。従妹と叔母と母は松本市役所にも行き、ここには除籍謄本が残ってゐたさうだ。
以上は、斎場から火葬場に移動の途中で伺った話で、ずいぶん熱心なことだと思った。母は詳しいので、ときどき話を聴きに来たさうだ。
火葬場が終り、家に帰ったあと、母から過去に聴いた話で不明な部分を母から聴いて補充した。
子や孫が 親の世代の
話聴き 纏めることは
一族に 役立つばかりか 社会に役立つ
(反歌)冷蔵庫 小学低学年までは 氷で冷やす 器機が普通だ
私が小学校低学年のときまでは、電気冷蔵庫ではなく、氷を上の扉に入れると、下の扉の魚や肉が冷やすことができた。街には氷屋があり、店でも売るし軽トラックで売りに来た。冬は練炭や炭を販売した。
冷蔵庫が、電気式ではなく氷式だったことは、貴重な情報だ。一族はともかく、社会の役に立つ。

九月二十日(日)
母の話のうち、最近聞いたものは正しいか不明なのでだいだい色にした。
祖父(母の父)の兄弟姉妹は四名で、長兄は本家を継いだものの若いときにプールで水死し、その後のことは判らない。松本駅前で薬屋をしてゐると聞いた。
次兄はお茶と和菓子の大店に養子に行った。
姉は、一人が東京の市電関係者に嫁ぎ、その娘は美人で日産の社長に嫁いださうだ。戦前までの結婚では家格を同じにすることが重視されたから、日産の社長に嫁ぐと云ふことは、東京市電気局の幹部だったのだらう。今では日産といふと「え、カルロスゴーンの息子のところに」と思ってしまふが、昔は日産財閥があり、その自動車部門が日産自動車として急成長した。
もう一人の姉は呉服屋に嫁いだ。NHKの朝のドラマ「あしたこそ」の衣装を担当し、亡くなったときはNHKから花輪が来た。

今回、斎場でお葬式が始まる前に私が、母は松本電鉄、叔母さんは松電タクシーに勤務したと云ったところ、叔母から訂正があり、勤務したのは信州名鉄ださうだ。信州名鉄交通がアルピコタクシーになったのは七年前だ。
祭壇には或る私鉄関係会社の花輪が飾られた。そして、帰宅後の東京市電の話だ。牛久まで行くときに、佐貫駅が竜ヶ崎市駅に改名したことにも気付いた。
また黒部への仮想旅行みたいに乗り物の話ばかりになるのではと危惧したが、これ以上、乗り物の話はなかった。

九月二十一日(月)
祖母(母の母)の実家は生糸工場を経営し、祖母の父母兄弟は四人だった。長姉は生糸工場の番頭と結婚し夫婦で独立し養鯉場を経営した。戦争中は鯉をよくもらひ、母の実家は鶏を飼ってゐたので卵を持って行った
伯父(元住吉の伯母の夫)は番頭の親戚で、私の妹が昭和四十五年頃、従妹(元住吉の伯父の娘)と松本に行ったときは、そこの家にも泊まり、大きな家と養鯉場だったさうだ。インターネットで検索すると、今でも養鯉場が出てくる。しかしストリートビューで見ると、養鯉場は無くなりマンションになった。
松本も 全国同様
市街化の 地域が拡大
農業や 水産よりも
商店と マンション経営 転換進む
(反歌)アルプスを 望む農地に 在る寺社は 今では街の 中に埋もれる
祖母の次姉は、国会事務局の幹部に嫁いだ。祖父と母が東京に行ったとき、その幹部の名を受付に云って国会議事堂を案内してもらったさうだ。その幹部は天皇の椅子を持ったことがある
母の両親のそれぞれの実家は、松本で上流階級だったのだらう。そして東京は全国と比べて、経済に恵まれる訳ではなかったから、地方の上流は国内でも上流だった。
母の祖父母の時代に対し、母の父母の時代は中流だ。母は中流だし、私も中流だ。つまり三世代に亘って中流だ。これは中流が増えたためで、日本全体では望ましい。
一億が 総中流は
良い事だ 昭和四十
年頃に 始まりプラザ 合意で終はる
(反歌)好景気 バブルのために 気付かずに プラザ合意の 害毒回る
今回の特集を組んで、気が付いたことがある。私の関心が人間関係なのに対し、従妹の関心は誕生年月日と死亡年月日ではないのか。霊友会では先祖の供養を重視する。(終)

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