千四百五十五(モリカケ疑獄百九十六の四) モリカケ桜に始まったトップダウンでは、うまく動かない
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
九月五日(土)
大きな組織は、下からの意見を吸い上げるボトムアップでないと機能しない。しかしボトムアップの問題点は、戦前の日本陸軍や、プラザ合意後の日本企業に見られた。
上長は部下に検討課題や指示を出すべきだが、詳細は部下にまかせる。途中経過に改善点があれば、指示を出す。それの繰り返しがボトムアップだ。それとは別に、下から新しいアイディアが出た。それの上での検討も、ボトムアップだ。
ところが、安倍のやり方は、官邸が詳細まで指示を出す。そして各省庁はそれに従って動く。それが全国一斉休校であり、全国一斉緊急宣言であり、アベマスク、GoToキャンペーンだった。

九月六日(日)
安倍はトップダウンしかできなかった。それはモリカケに始まり、桜アベマスク検察庁で最大値に達した。コロナ対策に失敗したのは、因果の法則だった。

九月七日(月)
President Onlineに
「退陣するなら今しかない」安倍首相が目論む"石破潰し"の算段

と云ふジャーナリスト元木昌彦さんの記事が載った。安倍の辞任会見について
最初に感じたのは、「大叔父の佐藤栄作に似てきたな」ということだった。両頬のタレ具合がそっくりだ。 佐藤は辞任会見の時、新聞や民放を追い出し、NHKのカメラだけを残して、それに向かってしゃべり続けた。自分の身勝手な主張を延々と話し続ける姿は、独裁者の成れの果て、醜いと、テレビを見ていてそう思った。安倍は、プロンプターも使わず、原稿に目を落とすこともなく、直前にまとめたコロナ対策について語り、その後、辞任の弁を話し始めた。

安倍の記者会見で一番よくないのは、延々とコロナ対策について語り、その後に辞任の弁を話し始めたことだ。これでは社会人失格だ。新入社員だって、こんな話し方はしない。質問の時間で
総理の資質について問われると、首相という職務は一人ではできない、大事なのは「多くのスタッフや議員たちとのチームワーク」と答えたのが、安倍らしかった。(中略)少し怒気をはらんだいい方をしたのは、「政権を私物化したのでは」と聞かれた時だ。強い口調で「私物化をしたことはない」といい切った。

大切なのはスタッフや議員たちとのチームワークではなく、省庁をきちんと働かせることだ。それには内閣人事局の廃止しかない。マスコミの反応について
読売新聞は、特別編集委員の橋本五郎が「総括 安倍政権」を書いている。そこで橋本は、支持率が落ちたのは、「モリ・カケ」問題や「桜を見る会」への対応の影響が大きかったとし、「そこで問われたのは一言で言えば、『正直さ』であり、誠実に答えていないと国民に思われたのである。不支持の最大の理由が『首相が信頼できない』というのもこのことを裏付けている」さらに、「大事なことは、正直に政策意図を説明し、『仁王立ち』で国民を守ろうとする姿勢だったのではないか。そのことが欠如していたのではないか」と斬り捨てる。

そのとほりだが、元木さんは
そんな安倍に寄り添い、ご意見番になっていたのはあんたのところの主筆だったではないかといいたくなるが、早くも安倍離れということか。

全マスコミは安倍離れが重要だ。

九月八日(火)
わずか半日で、早くもメディアの関心はポスト安倍へと移ってしまった。それも、「後継首相は、こうした憲法を軽んじ、統治機構の根腐れを生んだ『安倍政治』を、どう転換するのかも問われることになる」(東京新聞社説)「今回の総裁選では、安倍政権の政策的な評価のみならず、その政治手法、政治姿勢がもたらした弊害もまた厳しく問われねばならない」(朝日新聞社説)と、安倍政治を反省し、それから脱却せよというものが多い。

これはいい傾向だ。
なぜ、このタイミングだったのか? (中略)9月には改造人事をしなければいけない。自民党幹事長を現在の二階俊博から意中の岸田文雄にすげ替えるのは、十分な体力があっても難しいが、やらなければ自分の求心力が落ちていくのは間違いない。10月には五輪中止が発表される可能性大である。解散・総選挙をやるなら、その前の9月中しかないが、やれば大敗するのは目に見えている。 自分の影響力を残し、後継者に自分の息のかかった人間を据え、院政を敷くには、たしかにこのタイミングしかなかったのである。その点では、うまくいったと、安倍首相と仕組んだ連中は、影でほくそ笑んでいるのではないか。そこから透けて見えてくるのは、“政敵”石破茂に対する執念とも思える憎悪である。安倍は二階に、総裁選を仕切ってくれるよう頼んだ。“古狸”である二階は、安倍の意を汲み(中略)自派の国会議員はわずか19人しかいない石破が勝つには、圧倒的な支持がある党員・党友票が頼りだが、それをそっくり奪ってしまおうという“戦略”である。


-----------ここから和歌十一の二番外編------------------------
九月九日(水)
ここで気分転換のため、和歌で政治を風刺してみた。
                             よまれ人しらず
腹の裏ゆ うち出でてみれば ま黒にぞ 不治の低値(ひくね)に 嘘はふりつつ

「よまれ人しらず」とあるから、誰か特定の人をよんだものではない。

和歌十一和歌十二
-----------ここまで和歌十一の二番外編------------------------

九月十日(木)
現代ビジネスに東京都立大学教授山下祐介さんの
「安倍一強」の終焉…何でもできた政権はこうして国家を破壊した

が載った。
様々な疑惑もまた、解明されることなくうやむやなまま闇に葬られた。森友・加計問題、さらには桜を見る会では、存在するはずの文書までもが次々と消えた。

そこまで強権だったのに
ところがこの半年ほどの間で、驚くべきことが露呈してしまった。新型コロナ感染症対応の失敗である。万能と思われていたこの政権が、まったく危機管理能力を欠いた、政策形成能力の乏しい政権だったことが明らかになってしまったのである。アベノマスク、増えないPCR検査、減収世帯30万円から国民一人当たり10万円一律給付への転換、GoToキャンペーンに持続化給付金と、打つ政策が次から次へと誤りを指摘され、修正を余儀なくされる事態を繰り返した。

そして退陣に至った。
森友・加計の問題にしても、桜を見る会にしても、政策実現のための大事な国家予算を政権に近い誰かのために漏出する危険を伴うものであり、(中略)今回のコロナ対策でも現れてしまい、アベノマスクやGoToキャンペーン、そして持続化給付金の事務局経費などで、その本来の目的に達する前に、どこか別のところに事業費が流れているのではという疑惑のオンパレードになってしまった。安倍政権の政策は、ただうまくいかないというだけでないのである。打ち立てる政策にはことごとく穴が抜けており、実際の事業費が目指す目的と全く違うところにダダ漏れで流れていくのがこの政権の常態であった。


九月十一日(金)
記事は続き
一体なぜこんなふうに、安倍政権では統治そのものが崩壊してしまったのだろうか。

これについて
筆者がずっとこの点で引っかかっていたのは、安倍政権発足直後に、ある人から言われた次の言葉である。「大変だ。安倍さんの無能におかしな官僚がたかってまずいことになっている」と。(中略)やわらかくいえばこうなる。「安倍首相の人の良さにつけ込んで、一部のおかしな人々がつきまとっている。が、安倍首相がそのことに気づかないので、彼らによってゆがんだ政策が実現されるようになってしまった」と。

自分の財産が損をするのなら、人がよいで済まされる。国民の税金が無駄にされたり、お友だちを優遇することで多数が損をするのなら、人がよいでは済まされない。
ここまで述べてきたことを要約すれば、安倍政権の本質とは、日本の統治体制をことごとく壊してきたことにあるといってよさそうである。
もっともこの統治破壊がどのように進んだのか、そのカラクリを明確なかたちで示すには時間がかかりそうだ。今後様々な形で情報開示がおこなわれ、事情を知る人間の証言や証拠があがってくるのを待たねばなるまい。


九月十二日(土)
だがまたこの破壊は、必ずしも安倍政権に始まったものでもなく、(中略)民主党政権下でも進行していた。いや、その前の小泉政権でも「自民党をぶっ潰す」といっていたが、これが実は現在の統治の機能不全につながった可能性が高い。(中略)さらには平成に入る直前の中曽根政権による行財政改革にこそ、その発端は見出せるのかもしれない。

失はれた三十年の発端は、中曽根のプラザ合意と国労潰しにある、とこれまで考へてきた。国労潰しと、山下さんの指摘する行財政改革は、どちらも総評潰しから出た発想だ。あのとき既に総評、同盟など四団体の解散は決まってゐたから、これは余分で有害なことだった。
例を挙げると火事があり消火が完了した。それなのに放水を一週間続ければ、周囲の民家や商店は水浸しになる。

九月十三日(日)
他方で、さしあたってこの政権の一強体制を実現した直接のツールに目を向ければ、安倍内閣が多用した行政人事権の濫用、国会解散権の濫用、そして小選挙区制に由来する党内政治の変質などがあげられる。(中略)こうした人事が何度か繰り返されたことで、内閣総理大臣という職の周辺に、統治を担うのにどうにもふさわしくない人々が集まる構造ができあがってしまった。それが統治崩壊の直接的な原因になったのではないか。


九月十四日(月)
従来、旧民主党の統治能力が問題視されてきたが、今や統治を担う能力が失われているのは自民党自身である。(中略)筆者にはどうも、二大政党制という罠からどう逃れ、どう別の道が描けるかにすべてがかかっているように思う。そこにはまた小選挙区制も絡む。

モリカケ桜の安倍みたいな政治屋を二度と出さないためには、中選挙区の復活しかないのかと思ふ。これについて中選挙区はカネが掛かると云ふ政治屋がゐるが、それは違ふ。中選挙区が原因でカネが掛かるのではなく、政策では当選できない政治屋が中選挙区に当選するためにはカネが掛かるのだ。
安倍みたいな政治屋を今後出させない対策は急務だ。(終)

(その三)、(モリカケ疑獄百九十六の三)(モリカケ疑獄百九十七の一)

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