千四百五十一 旅行記外伝(1.旅行計画の変遷、2.JR東日本のGV-E400を批判、3.信濃のテレビ、4.清酒)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
七月二十五日(土)
本日鼠ヶ関まで行くときに、予定より11分早い快速「べにばな」に乗った。梅雨が明けず雲が垂れ込むが、遠くに佐渡が見える。近くに粟島も見える。
列車は米坂線に乗り入れるので、坂町で下車した。19分後に来る本来乗るはずの電車を待つ間、改札を出た。電車は村上行きで、終点では26分の待ち合はせがある。街中の食料店で、表紙が黒い斑点だらけになったバナナ4本で100円と、レーズンバターロール6個入(+期間限定1個)消費期限昨日まで100円を買った。期限が過ぎても安くすれば、購入者が自己責任で買ふ。これなら問題ない。
安いから買ったのではなく、食料を無駄にしないためと、店の手助けをした。
七月二十六日(日)
朝六時前にコンビニに朝食を買ひに行くとき、傘を持たずにホテルのロビーに行くと、雨だった。走って往復したが、それも原因で予定より早い電車で帰宅しようと思った。8時55分発だ。
その前に一箇所、新潟市内の名所を廻らう。インターネットで調べて沼垂テラス商店街に行った。朝七時なのですべての店が閉店するなかを一往復した。これだと本来は全然面白くない。旅行会社の企画だったら、ガイドは皆から悪態をつかれるだらう。私は8時55分に余裕があるので来ただけなので、まったく不満はなかった。帰りに白山神社など三つの神社に寄った。そのうちの一つは、前に新潟へ来た時に、大きな祭りがバスの窓から見えた。長岡までの高速バスが出発したときだと思ふ。
ホテルに戻った後、インターネットで雲の動きを調べると、雨は降らない。そこで8時55分を止めて、予定どほり12時6分にした。そして古町方面に出掛けた。
七月二十七日(月)
今回の旅行は開始前に、二度の計画変更があった。一度目は、大人の休日倶楽部の東日本パスを使って、三陸鉄道を全線乗ったあと、青森から特急で鶴岡下車。湯殿山と、廃仏毀釈を乗り越えた寺を訪問する予定だった。ところが地元の観光協会に問ひ合わせると、お寺への交通手段がタクシーしかない。お寺は割愛し、湯殿山だけにすることを考へるうちに、コロナ騒ぎで、第一回東日本パスが発売中止になった。因みに鶴岡は岩鼻通明さんの「出羽三山」を読んで、再度訪問したいと思ったからで、石原莞爾とは無関係だ。
二度目は、青春18切符で鶴岡に行かうと計画してゐると、鶴岡のシャトルバスが、コロナ騒ぎの影響からか廃止になった。代はりにチャータータクシーが出来たが、一人だと料金が高い。二人以上でもシャトルバスより高い。
そこで、湯殿山は中止し、代はりに戸隠に行くことにした。長野のついでに新潟にも泊まることにした。ホテルで安いところを探すと、県庁所在地になってしまふ。新潟では村上に行く予定だったが、鼠ヶ関に変更した。戸隠は出発の前日に、松代へ変更した。鼠ヶ関は、山形県温海町だったが、今は鶴岡市と合併した。二度の白紙変更と、微調整の結果、形の上では最初と同じ鶴岡市まで行ったことになった。
戸隠を松代に変更したのは、神仏分離した神社は行ってもつまらない。それは羽黒山で経験した。朝は時間に余裕があるので、善光寺の朝事を追加した。
村上は行き先を調べてはゐなかったが、それより足を延ばして鼠ヶ関まで行くことにした。
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七月二十八日(火)
新潟駅のホームで、GV-E400と云ふ珍しい車両を見た。試作車かと思ったが、昨年製造だ。変な車輛番号だから、おおかた電気式気動車だらう。
村上から鼠ヶ関までは、そのGV-E400が来た。発車停車のエンジン音で、まづ果たして電気式なのかと疑問を持った。エンジン音と加速が一致するからだ。しかし三駅分の停車発車を経て、やはり電気式だと確信した。速度の増加にエンジン音が変化しないのと、変速から直結への切り替へがない。
回生ブレーキは使用しないみたいだ。この疑問は帰宅後にインターネットを調べて判った。自動車で云ふハイブリッドから、回生ブレーキの機能を省略した。JR東日本は、車内の使用電力に使ふから回生ブレーキと呼んでゐるが、ほとんどの電力はディーゼルのエンジンブレーキで無駄に消費するらしい。
これは、蓄電池を省略するためだ。しかしそれは公共交通としての使命を果たしてゐない。自動車のハイブリッドは、回生ブレーキが主目的だ。そのため電動機を搭載する。電気式気動車は電動機があるのだから、発電させた電力は有効利用すべきだ。
かつてJRでは、将来の労働人口減少を見込んで、直巻電動機から誘導電動機に変更した。直巻電動機はブラシの交換などの作業が必要だからだ。同じやうに、環境負荷と軽油価格上昇を見込んで、ハイブリッドにすべきだ。それができないのなら、せめて回生ブレーキ使用時にのみ冷暖房と空気圧縮機を動かすくらいのことはすべきだ。
次に問題なのは、車輛番号がよくない。日本の鉄道車両は、モハxxx-xxxかxxxxのどちらかを旧国鉄民営鉄道軌道公営鉄道並びに軌道第三セクターが採用してきた。ここでxは0から9までの数字だ。それなのにJR東が、GV-E400-xxxと云ふ奇妙な命名をしてよい筈はない。国土交通省はJR東から、旧国鉄引き継ぎ部分を適正価格で買ひ戻すべきだ(その後に建設した部分は法的に無理だから買ひ戻す必要はない)。
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七月二十九日(水)
善光寺平のホテルで、宿泊者用に無料の信濃毎日新聞と読売新聞が置いてある。私は、信濃毎日新聞をもらった。読み終へたあとも、二昼夜持ち続けた。帰宅後、母に見せると喜ぶだらう。
テレビ欄を見ると、何と民放が四つある。昭和四十年代は一つだった。松本の場合、1がNHK、3がNHK教育、5が信越放送。これだけだった。各家庭はVHFのアンテナを縦に立てた。信州は山が多いから、テレビ塔がたくさんある。松本は城山(じょうやま)だ。美ケ原にもあるが、松本まで届かない。隣接との干渉を避けるため、テレビ塔によって横にしたり縦にした。
昭和五十年頃にUHFができた。全国にローカル局が誕生し、信州では長野テレビが誕生した。ここまでは知ってゐるがその後、こんなに増へたとは知らなかった。
昔はテレビ欄に、東京と大阪の民放も載った。チャンネル番号は書いてない。旅行者の便宜を計ったと当時は思ったが、民放が一つだけだと紙面が余るから、載せたのかも知れない。或いは地域によって、アンテナの向きを違ふ方向に立てて、岐阜などの放送を受信できるのだらう。今でも「テレビ東京」の番組が載る。チャンネル番号が書いてないのは、五十年前と同じだ。
七月三十日(木)
旅行の時は、ホテルで紙パック酒を飲み弁当を食べながら、翌日のプランを立てたり、パソコンでインターネットの原稿を書く。これが私の楽しみだ。いつもは100円の安い酒で済ますが、今回は酒造業界支援のため、美味しい酒を買った。私の好みは辛口、淡泊、吟醸なので、◎〇はあくまで私の嗜好だ。
銘柄 | 酒造所在地 | 私の嗜好 |
御柱(おんばしら) | 岡谷市 | ◎ |
七笑 | 木曽郡木曽町福島 | ◎ |
真澄 | 諏訪市 | 普通 |
苗場山 | 中魚沼郡津南町 | 普通 |
白鳥蔵 | 阿賀野市 | 〇(90円台の価格満足比を加味)) |
坂町駅を降りると、森ゆうこさんのポスターが貼ってあった。小沢さんと行動を共にしてきた森さんのポスターを始めて見た。
八月二日(日)
今回の旅行は4日間で、移動時間23時間44分(実乗車21時間10分)。新型コロナ騒ぎのため、旅行に行くことは母妻子以外に知らせず、しかも帰宅後一週間発病しないことを確認してから(その一)へを含めて発表した。完全な極秘旅行だった。(終)
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