千四百三十二 テレビ関係者の、怠慢慢心堕落
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
四月二十五日(土)
テレビ局関係者と原作者は、怠慢慢心堕落になりやすい。ここ数年間のテレビ番組を見て、さう感じた。
一番感じたのは、昨年の大河ドラマ「いだてん」だ。この番組については再三書いたので、ここでは触れない。二番目に感じたのは、大河ドラマ全体だ。なぜあんな無名な男が主役、と思ふこともあった。あんな無名な男や女が脇役、と云ふことは毎年のやうにある。
大河ドラマのテレビ局関係者は、長い年月を経る間に、堕落してしまった。
四月二十六日(日)
「暴れん坊将軍」と云ふ番組があった。「水戸黄門」は松下電器産業の提供だった。家電で松下と一位争ひを続ける日立製作所は、本拠地の水戸を舞台にされたので、対抗して「暴れん坊将軍」の提供主になった。誰もがさう思った。
その「暴れん坊将軍」で、なぜあんな女優が一回限りのゲスト出演に、と思ふことがまれにあった。縁故か事務所からの押し込みか。
二ヶ月ほど前に、たまたま早く目が醒めて、初めて早朝時代劇「暴れん坊将軍」を見た。往来の通行人に無名だが目立つ女優が映り、あんなところにも押し込んだのか、と驚いた。
四月二十九日(水)
「JIN-仁-」の第一期は、優れたテレビドラマだ。だから数々の賞を受賞した。第二期は制作の予定がないと発表されたが、二年後に制作された。第二期は『JIN-仁- レジェンド』と云ふ総集編で、三分の一を観ただけだが、期待はずれだったことを先日書いた。
漫画をテレビドラマにしたものだから、原作者はまったく悪くない。悪くはない前提で論評すると、十年間に亙る長い連載で、中だるみを生じたかな、と云ふ印象はある。当時のテレビの視聴率を見ても、第一期、第二期とも最終回だけ5ポイント跳ね上がる。第1期の最終回は「タイムスリップの果て…時空を超えた物語が今!!」、第二期の最終回は「150年の愛と命の物語が起こす奇跡のタイムスリップの結末」なので、途中の毒茶事件などは飛ばしてタイムスリップの顛末を知りたい人が多いことが判る。
四月三十日(木)
「相棒」は、窓際部署に追ひやられた主人公が、次々と事件を解決し、しかもストーリーに芸術性を持ち、優れた作品だった。
ところが回数を重ねると、警察庁次長の息子が三代目相棒になったり、法務省出身者が四代目相棒になったり、主人公の出身大学は仮想なのか実物なのか知らないがこれを持ち上げたり、それでゐて警視庁の上層部は悪人だったりと、話が変になった。
主人公が飲みに行く店の女将まで、初代は人がよかったのに、二代目は少し癖がある場面が一回か二回あった。これなんかは演出が悪い。この女優の演技力の限界とは思ひたくないのだが。
「相棒」の問題点は、NHKの大河ドラマと同じで、いつまでも回数を重ねるとテレビ局の関係者が堕落する。
五月二日(土)
大河ドラマに初出演のお笑ひタレントがラジオの深夜放送で「コロナが収束したら絶対、面白いことあるんですよ。コロナが明けたら、なかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。これ、なんでかって言うたら、短時間でお金を稼がないと苦しいですから」と語り、批判が殺到した。
これなんかは、大河ドラマに出演したことで慢心を起こした典型だ。テレビには、重大な欠陥がある。カメラ側はテレビに映るのに、テレビ側はカメラに映らないと云ふ技術的な欠陥だ。そのため無能な人間は、慢心を起こす。
更に慢心を起こすのが「こころの時代~宗教・人生~」だ。「人生」はともかく「宗教」で出演する人の多くは、ろくでもない。そもそも「こころの時代~宗教・人生~」を観る人は日本にどれだけゐるか。私も見なくなった。(終)
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