千四百三十六 大河ドラマがつまらなくなる時期「麒麟がくる」
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
五月十六日(土)
「麒麟がくる」は本日再放送(本放送は十日だが、日曜の夜に観るほどのものではない)だが、途中でスヰッチを切った。大河ドラマは毎年、最初は面白いものの、何ヶ月か過ぎるとつまらなくなる。今年も同じだった。
本日分は、まづ信長の正室帰蝶が賢人過ぎる。それだけならまだしも周囲を馬鹿にした発言をした。
斎藤道三が嫡嗣義龍と一騎打ちをするのは、親殺しの汚名をきせる戦略だったとする筋書きなので、これは合格だ。
ところが道三側に付いた明智光秀まで、そのあと一騎で義龍の前に現れ、義龍は道三の子かどうかを尋ねる。馬鹿馬鹿しいのでスヰッチを切った。(1)義龍は道三の子に決まってゐる。だから斎藤の姓を名乗る。(2)義龍が誰の子かと云ふ話はこれまでに何回も出た。なぜ同じ話を繰り返すのか。(3)道三側に付いた明智光秀が一騎で義龍の前に現れるはずがない。

五月十七日(日)
「麒麟がくる」は、視聴率が毎回低下し、一時は10%割れが心配された。そこで編集をし直したさうだ。先週までは、一部につまらない話があったものの、全体では面白かった。今回突然つまらなくなったのは、編集の影響か。
10%割れ寸前の時に、民放関係者が、織田に仕官してからを扱ふべきだったと語った。これは正解だ。織田家中で出世街道の筆頭を進む姿、信長がだんだんわがままになる様子、明智家中の話題。これらに大河ドラマファンは喝采する。

五月二十日(水)
大河ドラマは、ゲテモノ出演者が多い。これはここ数年間に亘り思ってきた。主役にもときどきゐるし、脇役は毎年のやうにゐる。誰とは云はない。配役、監督を含めた責任だからだ。
それとは別に、最近の問題点として、共感を持てない台本と演出が多い。ドラマは、主役以外のほとんどの出演者にも共感を持てて、ごく少数の敵役がゐる。これが普通だ。ところが昨年の「いだてん」は、ほとんどの出演者に共感を持てず、そればかりか怠け者でコソ泥で皆に嫌はれる敵役が、有名な噺家になるなんて、そんな台本は駄目だ。
今年の「麒麟がくる」にもある。せっかく堺正章を名医として出演させたのに、博打ばかりやる駄目男に仕立ててしまった。医療モノはテレビドラマで成功確率が高い。時代考証は多少無視してでも、江戸時代の医療をドラマに入れればよいではないか。名医の努力物語でもよい。
怠け者で努力なしに有名になる筋書きが多いのは、NHKがさうだからだ。無能なのに演出や制作に名を連ねる。民間会社では考へられない待遇だから、ドラマまで同じになる。
斎藤道三は、史実でもおそらくドラマの筋書きどほりに嫌はれ者だったのだらう。だから国人は嫡嗣の義龍に従った。それなのに「麒麟がくる」は、義龍まで共感が持てない人間に仕立ててしまった。明智一族が道三に従ったのは、別の理由があるとすればよかった。
義龍もそれほど性格がよくはなかったが、道三ほどではなかったとする方法もあった。

五月二十三日(土)
本日の再放送も、途中でスヰッチを切らうとしたことが、二回あった。一回目は明智城が炎上する光景を見る主人公の無表情。主役にしては演技力不足だ。
二番目は駒と云ふ架空の人物が命の恩人が判り、しかも既に亡くなったことを聞き嘆く場面。恩人が判ったのだから悦ぶ場面だ。しかも嘆く演技力が不足で見苦しいと云ふおまけまでついた。
駒が光秀の母親に、火事で助けられ話をするときに、恩人とは光秀の父親だと予め判り、事実そのとほりだった。信長の弟が霊水を持って見舞に来るときも、毒水だと予め判り、事実そのとほりだった。信長の話は退屈しないから、安易な筋書きでも一応は合格だ。駒の話は退屈だから、まったくの無駄だ。
厳しく採点すれば、信長の弟が毒水を信長に飲ませ、殺害が成功したとする。そのあと弟はどうするのか。逆上した信長の家来に殺されるだらう。筋書きが安直すぎる。
この安直さは、「軍師官兵衛」で、寝返ると嘘をつき敵が来たら幕を倒し鉄砲隊が現れる場面を思ひ出す。「麒麟がくる」が嫌ひな理由に、OPで目をつぶった光秀が現れる。「軍師官兵衛」のOPにそっくりだ。

五月二十七日(水)
大河ドラマは、奇人変人見本市か。斎藤道三、義龍、朝倉義景。そして弟に水を飲めとしつこく繰り返す信長。ドラマの最初のうちは松永久秀、明智光安などまともな人たちばかりだった。信長も今まではまともだった。
ドラマの題を「奇人がくる」と変へたほうがいい。

五月二十八日(木)
奇人変人見本市は過去の大河ドラマも同じだ。「いだてん」ではふんどし姿で物干しの上に現れたり、「西郷どん」では志士が多数集まり西郷を注目するのに、一人だけ飯をバクつく。
「いだてん」は、全体がつまらない内容だが、「見てみたらおもしろいじゃん」と言った感想が、恐らく関係者から云はれて見た人が投稿した。一回だけ見れば、ふんどし姿で物干しは面白いかも知れない。しかし全体の流れで見ると、これらは制作費の無駄、時間の無駄だ。

五月三十日(土)
今回は、弟を殺した信長と、弟だけを溺愛した母との会話だが、弟が兄に毒水を盛ったから、逆に飲まされて死んだ。そのことを信長は母に云ふべきだし、母もその前に事情は聞いたはずだ。だったら、あの会話はあり得ない。
義龍が上洛途中の信長を暗殺しようとし、明智光秀が松永久秀に止めさせようとし、久秀は義龍に警護を依頼する。ここまでも変だが、まだ許容範囲だ。しかしそのあと、義龍が光秀を呼んで久秀に依頼したことをとがめ、しかし義龍の配下にならないかと誘ふところは、まったくあり得ない筋書きだ。
しかし、ばくち好きの医者、なぜか各地の大名や雑賀衆と親しい旅芸人の女座長、その劇団にゐて今は医者の助手を務める女。この三名に出演機会がなかったのはよかった。医者の問題点は前に指摘したが、旅芸人の女座長も、各地の大名や雑賀衆と親しくなった背景や努力を描かないから、つまらない。

六月六日(土)
今回は、歴史愛好者にとっては不満の連続だったことだらう。今川が織田を攻めること以外は、ことごとく出鱈目だった。まづ今川と織田では、兵力の差があり過ぎる。そんなとき松平に手紙を送っても、わざわざ敗軍に寝返る者はゐない。歴史の事実を知る現代人だけが、手紙を送れば寝返ると勘違ひする。
そもそも織田の勝因は、松平の寝返りではない。こんなつまらない話を長々とすべきではない。今回は、途中でスヰッチを切った。

六月十三日(土)
今回は、開始後2分でテレビを切った。OPの前で切るなんて初めてだ。そもそもOPの前は視聴者にチャンネルを変へさせないためにある。それなのに、あのやうなつまらない話を入れるとは驚く。
新型コロナ騒ぎのため、番組は今回で一旦中断するさうだ。このまま永久に中断してもよい。大河ドラマそのものを、廃止してもよい。
大河ドラマの欠点に、絶叫調がある。スタジオ内に、新型コロナウィルスをばらまきたいのかと、嫌味の一つも云ひたくなる。(終)

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