千四百十五 1.NHK批判「超格差社会を生き抜くには 平清盛~清盛流出世術~」、2.JR東日本批判
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
第一部、NHK批判
一月二十八日(火)
NHK教育テレビが『先人たちの底力 知恵泉「超格差社会を生き抜くには 平清盛~清盛流出世術~」』と云ふ番組を放送した。番組説明は
源頼朝、足利尊氏、織田信長など、新時代を切り開いた人物には、ある共通点がある。それは、兄弟でもライバルとなれば迷わず殺したこと。しかし平清盛は違った。敵でも必ず一度は許し、「人前では叱らず後でこっそり言い聞かせる」など、部下への気配りを欠かさない優しいリーダーだった。そんな清盛は、事実上の国のトップ・太政大臣へ異例の出世を果たす。“おごる平家”とは違う、清盛の意外な人物像に迫り、その知恵を探る。

この番組とは別に、今から半年くらい前だらうか、平清盛は気配りの人で同僚がつまらない冗談を言っても笑ってあげた、といふ記事を読んだことがあった。そのとき当ホームページでも、豊臣秀吉もいっしょに例として、権力を握る前と握った後は分けて考へなくてはいけない、と云ふ特集を組まうと思った。
その後、書く機会がなく現在に至る。テレビで先人たちの底力 知恵泉「超格差社会を生き抜くには 平清盛~清盛流出世術~」を見始めたところひどい内容だ。すぐにスヰッチを切った。
コーヒーを少し残して飲み終へたカップを裏返し、その模様で占ひをする。占ふサヘルローズさんは悪くない。番組制作者と司会のアナウンサーが悪い。コーヒー占ひはさう云ふ番組で紹介するのがよい。今は平清盛についてだ。

一月三十一日(金)
権力を握る前と後で、性格が一変することは、織田信長も同じだ。かつては、弟に加勢したり一揆に加はった家臣を許したその柔軟な性格が、途中からは残酷に変はった。平清盛だって、権力を握ってからは無理を押し通したから、事情は同じだ。
源頼朝、足利尊氏、織田信長が弟を殺したのは、権力を完全に把握する前に弟とそれを担ぐ勢力が裏切ったためだ。平清盛はあっと云ふ間に権力を握ったから、弟たちは謀反をしようなどと考へる余地さへなかった。

二月一日(土)
この番組の悪いところは、題名の「超格差社会を生き抜くには 平清盛~清盛流出世術~」に現れる。超格差社会を生き抜くには、超格差社会を総評や社会党が健在だった時代に戻すのがよい。
それなのに(N)脳が(H)ほとんど(K)空の連中は、清盛流出世術を学ぶと云ふ。「いだてん」でビート武が演じる落語をテレビカメラで撮る場面をテレビカメラで撮って放送したり、関東大震災の焼け野原を望遠鏡で眺める女をテレビで眺めても、全然面白くない。面白いふりをしてくれるのは、出世前の平清盛くらいだ。(終)

第二部、JR東日本批判
一月三十一日(金)
今朝、根岸線の石川町駅で人身事故があり、京浜東北線と根岸線が全線で運休した。前回の鶯谷駅のときは、山手線、東北高崎線、常磐線快速中距離が運休し、大変な混乱だった。
それに比べれて、今回は京浜東北根岸線だけだから、前回よりましだ。しかしこれでも不十分だ。石川町で事故なら、桜木町、鶴見、蒲田で折り返さなくてはいけない。おでこを切って血が出たからといって、首を絞めて頭に血が全然行かないやうにするはずがない。JR東日本のやったことはこれと同じだ。
石川町駅と云ふ、京浜東北線の半分ほどが乗り入れる根岸線の駅で人身事故があった。するとJR東日本は、京浜東北線まで全部止めた。さすがは高輪ゲートウェイと云ふ世界に恥さらしな駅名を付けようとする官僚主義の会社だ。

二月一日(土)
ここで緊急時の折り返しについて述べると、桜木町と蒲田は本線とは別のホームに到着しそのまま折り返すから、問題ない。
鶴見は到着の前に「まもなく終着駅です。もし降りるのが遅れた場合は、発車後すぐに折り返しますのでそのまま車内でお待ちください」と放送する。鶴見に着いたら社内点検せず、そのまま折り返し線に入れる。予め待機した乗務員と交代し、すぐに(ホームが空の場合)或いは2分後に(ホームに停車中の場合)入線させる。
三つの駅で折り返せば、ラッシュ時でも対応できる。

二月二日(日)
前回の鶯谷駅での人身事故について、混雑を避けるため大宮と取手から先の乗客を制限したのではないかと書いたが、今回の事故で新たな事情が分かった。
京浜東北線を止めても、混雑は起こらない。これは上野東京ラインができたため、京浜東北線が補助路線になったためだ。
私は今回初めて知ったが、JR東日本は何回も経験したはずだ。それならなほのこと、東北線(宇都宮線)と高崎線を止めてはいけない。(終)

二月五日(水)
昨夜京浜東北線の新子安駅で人身事故があり、東海道線を含めて午後5時50分から1時間止まった。影響は東北線、高崎線、湘南新宿線、埼京線にも及んだ。
昔の国鉄時代は、人身事故の起きた線だけを運休にした。国鉄末期に、現場検証で隣の線に入ったところに列車が来て新たな死傷事故が起きたことがあった。国鉄が末期には如何に堕落したかがよく判る。
JRになってからか、隣接の線路も止めるやうにした。しかしこれなんかは堕落を引き継ぎ、しかもそれ以上に悪くなった。JR職員立ち合ひで隣の線は列車が来ることに注意する。必要なら徐行させる。なぜこんな簡単なことができないのか。

「マスコミとJR東日本の横暴を許すな108の二」「マスコミの横暴を許すな110」

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